和歌山県立近代美術館

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わが国の近代美術館事情13

わが国の近代美術館事情13

(4)「和歌山県立近代美術館」の昨日、明日—その10

 

前回、「実は昨年度も当館で、あらためて『抽象』表現にもかかわる展覧会を開催していたことを報告しておきたい」と拙文末尾に書いていた。それが当館の、夏季恒例展覧会として定着している「なつやすみの美術館」シリーズ7回目の「すき、きらい、すき?きらい?」展(2017年7月8日から9月18日)である。この展覧会は、「抽象」表現について特化した企画ではなかったが、この「すき、きらい」という言葉は、抽象絵画や彫刻を語る際にもしばしば使われ、さらには「わかる、わからない」と言われているのも周知のとおりだ。

それでは、「抽象絵画はわからない」と言われる時の「わからない」とは何か。しかし私は「すき、きらい」を超え、むしろ「わかる、わからない」ということを真正面に捉えて、抽象絵画を見つめ、もっと悩んでほしいと思っている。

私事で恐縮だが、中学2年生のとき、「美術」の歴史を解説する『副読本』(秀学社、発行年記載なし)に、カンディンスキーの《円の中》という作品図版が掲載され、「こんな滅茶苦茶な絵が教科書に載っているのは、なぜだろう」と思ったことがある。そして、この思いはずっと消えなかった。

その後、これが「抽象」という表現であることを知り、他にも数多くの似た作品があることを知って、逆にすっかり魅せられてしまったのである。「そうか、服や自動車、そして机や椅子なども、見つめているとすべて『抽象』表現ではないか」と、思いはじめるようになった。そしてとうとう、大学の卒論や修論で、「抽象絵画の父」カンディンスキーを取り上げるまでになってしまったのである。卒論テーマ報告の際には、指導教授に恐る恐る「カンディンスキーをやりたい」と言った、そんな時代でもあった。美術史の専攻で、「近代美術」などにほとんど手を出す学生もいない1970年代初頭の出来事だった。

だが、その1970年の秋に、兵庫県立近代美術館、和歌山県立近代美術館が相次いで開館し、私が幸いその両館で勤務していることに、特別の感情が湧いてくる。そして何よりも、この「近代」という言葉に惹かれるとともに、愛着さえ感じる。兵庫県は「近代」をはずしてしまったが、私は本当に心から「さびしいなぁ。涙が出そうだ」という心境なのである。

そして今回、「和歌山―日本」と題し、サブタイトルには「和歌山を見つめ、日本の美術、そして近代美術館を見つめる」とする展覧会を企画した。当館のコレクションが中心の企画展で、図録も作成できないが、しかし展覧会場こそが展覧会の生命線だという持論をもつ私は、今回の「和歌山―日本」展でも、各関係機関の協力を得て、まず見ることのできない作品、そして資料を集めることができた。もちろん「序章」で、「抽象」についての問題も取りあげた。

これまで展覧会を開催すれば、すぐに「図録を送って下さい」と何度言われたことか。図録だけで展評を書いてくれた人もいて、いったい「展覧会とは何か」と思ってしまう。これも私事で恐縮だが、高校生時代に、家からも近かった大阪市立美術館で見た本邦初の「パウル・クレー展」は、今も会場の雰囲気をはっきり覚えている。薄暗い展示室で、ただただこんな絵もあるのかと、「抽象」の実作品を見つめていた記憶がよみがえる。

さて、「和歌山―日本」展では、冒頭の「序章」で、和歌山県立近代美術館の歴史と、「近代美術館」についても触れた。そして私が勤務していた時代には、確かに正面入り口高くに掲げられていた旧兵庫県立近代美術館の「近代」の看板を借用し、展示した。これは、「近美」から「県立美術館」へと再出発した際に取り外されたもので、それをマニアックな後輩学芸員(平井章一・現関西大学教授)が大切に保管し、はじめて公開する貴重な機会となった。この捨てられた「近代」の意味を、この機会にもう一度再考したいという思いを強くもつ。

それに続いて「序章」では、前回も触れたカンディンスキーと「抽象」について、当館所蔵のカンディンスキーの詩画集『響き』と恩地孝四郎の版画作品を手がかりに紹介した。「近代美術館」という先鋭的表現を発信していかなければならない機関だからこそ、美術史上の革命である「抽象」の誕生について語るのも説得力があるだろう。さらに「和歌山―日本」のテーマにもっともふさわしい、和歌山ゆかりの二人の作家、村井正誠と川口軌外の代表作を「抽象表現に見る『和歌山―日本』」の章で展示した。このようなことも、和歌山県立近代美術館だからこそできるのだと、あらためて実感した。これまで作品収集に尽力されてきた諸先輩学芸員、そして現在の学芸員諸氏にも敬意を表したい。

また、彫刻では、和歌山ゆかりの保田龍門・春彦、そして建畠大夢・覚造という両親子作家の存在も忘れられない。子は親を超え、具象から抽象へと超える表現過程には、時代性も感じる。さらに保田龍門で忘れられないのが、和歌山県庁本館の正面階段2階、3階踊り場に掲げられた「レリーフ」作品である。その石膏モデルが当館に収蔵されており、展覧会でも出品に加えた。

県庁本館は、今年で竣工から80年を迎える。戦前に建設された県庁で、今も残されているのは、神奈川県、富山県、静岡県、そして和歌山県など、全国に9例ある。和歌山は、富山県庁舎を設計した増田八郎が、そのスタッフである営繕技手3名とともに和歌山に異動し、設計から工事完了まで担当したという。幸い設計図面70余面も残され、それも今回、「近代化遺産」の文脈から紹介することができた。

見どころ満載の「和歌山―日本」展を、ぜひ実際にご覧いただきたい。

 

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