和歌山県立近代美術館

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わが国の近代美術館事情24

わが国の近代美術館事情24

(4)「和歌山県立近代美術館」の昨日、明日―その21


美術館はコロナ対策のため、来館者に感染拡大防止対策への協力をお願いしながら、可能な限り快適な環境の提供にもつとめなければならない。この先、収束については、感染症の専門家でも予測は難しいというが、そうした状況下で、いかに来館者を迎えるかが、美術館に限らず、あらゆる集客施設の課題として立ち現れてきている。
現在、当館も、受付や監視など、直接来館者と接する職員、そして来館者の方々の協力・理解をいただきながら、ひとつのトラブルもなく開館してきていることに、館長としても感謝したい。例年であれば、この時期は「なつやすみの美術館」展が開かれて、児童・生徒、そして保護者の方々の来館も多く、にぎやかな会場になっているはずだが、和歌山県も夏休みが終わってしまったのは残念だ。
会期も今月30日(日)までと、残された日数も少ないが、現在「なつやすみの美術館10 あまたの先日 ひしめいて今日」展を開催している。今回は、当館が連続して毎年企画してきた「なつやすみの美術館」シリーズの10回目にあたる。そして、当館閉幕後も昨年に引き続き、和歌山県の「新政策」事業である「芸術に親しもう!おでかけ美術館 第2回 紀南地方」として、「田中秀介展『かなたの先日ふみこんで今日』」展(9月10日から10月25日、ぎゃらりーなかがわ)が開催される。
本展にゲストとして迎えた田中秀介氏は、和歌山市に生まれ、高校卒業まで県内で過ごした後、大阪美術専門学校と大阪芸術大学で油絵を学び、現在は住まいを大阪市に移して制作活動を行う新鋭の作家である。画廊回りを欠かさず、現代美術家の動向を追いかけている奥村泰彦教育普及課長が抜擢し、作家の意向を吸い上げながら、田中氏の作品46点と、当館所蔵作品43点の6部構成で、展覧会が組み立てられている。
作家や評論家などをいわゆるゲスト・キュレーターとして、美術館の所蔵作品を選んで展覧会を開催することは、これまでにもしばしば行われてきた。しかし本展では、作家自身が自作を持ち込むだけでなく、同時に美術館の所蔵品を選択しながら展覧会が構成されている。その意味でも、きわめて野心的な試みであり、しかも選ばれた所蔵作品は、日本画、洋画、彫刻、海外の現代美術など多岐にわたるのみならず、自作も含めてすべての作品に、田中氏のコメントが寄せられている。
たとえば、自作《黙光(もっこう)》(2018年)には、「あまりに悲惨な連絡でも届いたのか。予期せぬ表情を見てくれ、と言わんばかりに照らしている。」とか、《古今台頭摩擦(ここんたいとうまさつ)》(2019年)には、「はるか昔に生きていたとされる者の頭と、今生きている者の頭が鉢合わせ。鉢合わせたことで、何も起きないが、ここに至るまで様々な事が起こっていた。」などのコメントが寄せられ、当館所蔵品の保田春彦の《犬の頭骨》(1950年)には、「化石を掘り当てたなら、あら、化石!となるかもしれない。同じ地層で石を掘り当てて、あら、石!となるだろうか。経過した時間は化石と同等だろう。あら、石!と興奮できる心持ちでありたい。」とか、稗田一穂の《夏去る、下図》(1980年)には、「下図とあるが、十分成された様な印象を受ける。自身も何かを成そうと躍起になる事があるが、他者から見るともう十分と思われているかも知れない。」といった具合に、出品作89点すべての作品に、田中氏の文章が寄せられている。

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田中秀介《黙光》2018(平成30)油彩、キャンバス 72.0×60.0cm 個人蔵

 

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田中秀介《古今台頭摩擦》2019(令和元)油彩、キャンバス 259.0×194.0cm 個人蔵

 

しかも今回、展覧会タイトルもそうだが、6部からなる章のタイトルも、これまでの展覧会にはない意味深長な名称となっている。「1 睨み(にらみ)」「2 傍ら(かたわら)」「3 案件(あんけん)」「4 案外(あんがい)」「5 他人事(ひとごと)」「6 呆然(ぼうぜん)」と紹介されて、それぞれに果たしてどのような作品を思い浮かべることができるのか。各章に集められた作品が、これらのタイトルとどのように連関しているのか、とにかく不思議な展覧会になっている。
もちろん、このような作品と、それら作品に寄せられた「言葉」との関係は、展覧会を見る者に様々の印象を与える。たとえば寄せられたアンケートのひとつには、「主観的なキャプション、ユニークだがわずらわしい。文章が鑑賞のじゃまになる。(石垣栄太郎の)《キューバ島の反乱》(1933年)など、主題の理解をさまたげていないか?」といった手厳しい意見もあった。

 

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石垣 栄太郎《キューバ島の反乱》1933(昭和8) 油彩、キャンバス 181.5×139.0 石垣綾子氏寄贈

私事ながら、美術館に勤めはじめた頃、「アート・ナウ」という現代美術展を開催し、その展示などを担当していたこともあった。大阪から神戸への通勤の合間をぬって、1980年代の熱気を生み出す画廊に足を運んでもいた。そんな時、ある立体作家から「私の作品を一度文章にしてもらえないか」と言われ驚いたことがある。当時は、たとえば読売新聞の、確か毎週木曜日の夕刊には、見開きで美術特集が組まれ、先輩学芸員や美術記者の人たちが「展評」を寄せていた時代である。まだ駆け出しの学芸員だった私など、そんな依頼に応えることはできるはずもなく、とうとう書けなかったその苦い経験を忘れることはできない。
今回の展覧会を見て、この1980年代当時を思い出し、私には「作品と言葉」の関係を再考する機会となった。美術史学、あるいは美術評論とは、「作品をいかに言葉によって」価値づけていくのかという問題の追求にほかならない。こういうのは大袈裟かもしれないが、私には、そうしたことを考えさせる展覧会ともなった。そして、田中秀介氏の「額縁のない」キャンバスに描かれ、その独特の色彩感覚を漂わせる作品群にも、ぜひ注目していただきたい。
9月10日からは、当館と和歌山県福祉事業団の共催で、御坊市中心部に位置し、登録有形文化財である中川家7代当主の中川計三郎氏の住宅を改修したぎゃらりーなかがわでも、どのような展示空間が演出されるのか。「日高御殿」とも称された旧中川家での展覧会も、不思議なものとなりそうだ。

 

(2020年8月20日)

 

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稗田一穗《夏去る 下図》1980(昭和55)185.0×169.8cm 作者寄贈

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