和歌山県立近代美術館

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館長のおススメ―9月の一品 石垣栄太郎《K.K.K.》

ishigaki_kkk.jpgのサムネール画像

石垣栄太郎《K.K.K.》1936年

 

アメリカ公民権運動のピークともいえる1963年のワシントン大行進と、キング牧師による歴史的演説から半世紀が経った今年の8月28日、同じ場所でオバマ大統領が演説したことが話題になりました。大行進の翌年に公民権法が制定され、法律上の人種差別が撤廃された結果、有色人種の社会進出が加速されて平等な社会が出現するはずでした。しかし人種差別感情が根強く底流するアメリカ社会は、民族、宗教などによる差別も加わって、今日なお複雑な問題を抱えているようです。

ひるがえって大行進に先立つ一世紀、一層苛酷な人種差別が行われてきたことはいうまでもありません。南北戦争終結の1865年、合衆国憲法の修正によって奴隷制度は名目上廃止されましたが、南部では「人種分離法」によって、あらゆる場所で白人から有色人種を分離差別する政策が合法的に進められ、また「解放」されて自由を得た黒人は、逆に白人による「自由」な暴力行為の餌食ともなり、悲惨なリンチ事件が絶えませんでした。

「南部の樹々には奇妙な実がなる…南部の風にぶらぶら揺れる黒い身体、ポプラの樹々に吊り下がる奇妙な実」と、ビリー・ホリディが名曲「奇妙な果実」(1939年)に唄った凄惨な現実が、とくに1920年代には南部一帯で日常化し、その最も過激な担い手が白い頭巾をかぶる白人至上主義の結社クー・クラックス・クラン(K.K.K.)でした。太地町から出稼ぎ移民として渡米した父のもとで、少年時代から様々な職を転々とした石垣栄太郎も、こうした現実に直面し痛憤を抱きつづけたことでしょう。白人群衆によって、まさに樹の枝に吊るされようとする黒人を描く油彩作品《リンチ》(1931年)や、群衆をK.K.K.の白頭巾に変えた素描なども残しています。それらの画面は、ビリー・ホリディの唄声にも共通する、絶望と諦めが入り交じった静かで底知れぬ悲しみや恨みを湛えていますが、この作品では後ろ手に縄で縛られた黒人とK.K.K.団員の間に割って入り、白頭巾を引き剥がそうとするもう一人の黒人を登場させ、一転して力強い抵抗、反撃の様子を描いています。後ろの絞首台代わりの樹木と、三人のK.K.K.団員の面妖な白装束が渦を巻く邪悪なサークルを、それは切り裂くかのような動勢を見せ、ダイナミックな画面構成となっているのが印象的です。

大恐慌を乗り切るニューディール政策で移民画家にも壁画の仕事が舞い込むようになり、K.K.K.もすでに弱体化して、アメリカ史上他に例を見ないくらい左翼政治運動や労働運動が盛りあがった時代の風潮が、この力強い作品を生んだといえましょう。石垣にとっても1936年は、自身が準備委員を務めたアメリカ美術家会議が結成され、初個展を開いてこの《K.K.K.》(発表時の題名は《南部アメリカ》)を含む18点を発表するなど、画家の地位を不動のものにした記念の年でした。しかし、太平洋戦争が始まると敵性外国人として行動を制限され、戦後には冷戦下で吹き荒れる「マッカーシズム(赤狩り)」によって、スパイや左翼活動家のみならずリベラルな文化人までもが国外追放の憂き目にあう中で、チャップリンなどと同じく石垣もその標的になりました。1951年に帰国し、再び渡米することなく7年目に石垣栄太郎は永眠します。

開催中の「生誕120年記念石垣栄太郎展」会場で輝きを放つこの作は、矛盾多きアメリカ社会のマイノリティ画家として、いかに石垣が誇り高く生きたかの証とはいえないでしょうか。

 

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