和歌山県立近代美術館

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生誕120年記念 恩地孝四郎・藤森静雄

生誕120年記念 恩地孝四郎・藤森静雄

会期: 6月28日(火)~ 9月4日(日)

生誕120年記念 恩地孝四郎・藤森静雄

創作版画の頂点として知られる大正初期の版画誌『月映(つくはえ)』で活動をはじめた、ふたりの版画家の代表作を紹介します。

 

1891(明治24)年に生まれ、ことし生誕120年を迎えるふたりの版画家をご紹介します。

  恩地孝四郎は東京生まれ。中学を卒業後、竹久夢二と出会ったのをきっかけに美術家への道を目指すようになりました。白馬会原町洋画研究所や東京美術学校(現在の東京藝術大学)で油彩画や彫刻を学びますが中退。夢二が生涯独学の作家であったのと同様、恩地の根底にあったのは、自由な表現への意志と、既成の表現を打開しようとする前衛的な態度であったといえるでしょう。初期から見られる抒情的な表現は、木版画の特色を活かした独自の抽象作品へと展開していきます。

いっぽう、藤森静雄は福岡県で生まれました。地元の先輩には洋画家として東京で活躍する青木繁がおり、中学生の藤森は帰省中の青木を何度も訪ねて話を聞いたといいます。中学卒業後、画家を志望し上京、白馬会原町洋画研究所と東京美術学校で洋画を学びました。初期作品からは、西洋美術の新しい動向を敏感に受けとめた早熟な才能がうかがえます。

ふたりは共通の友人だった田中恭吉を介して親しくなり、同人回覧雑誌『密室』に参加したり、竹久夢二のもとに集うようになりました。そして1914(大正3)年、恩地と田中が藤森を誘い、詩と自刻木版画の雑誌『月映(つくはえ)』の刊行を企画。ほぼ同時に木版画の制作を始めました。心の内面をみつめるようにして作られ始めた彼らの作品には、生や死といった共通のテーマがあり、木版画の面白さにたちまちのめり込んでいった気迫が漲っています。

1915(大正4)年、田中の死とともに『月映』は終刊となりますが、ふたりはその後も版画制作をつづけ、1918(大正7)年から始まった日本創作版画協会の活動などを共に行い、それぞれ独自の作風を確立して日本の近代版画史に大きな足跡をのこしていきました。今回は、当館の版画コレクションの核となっているふたりの代表作約120点を展示し、その業績を回顧する機会といたします。

生誕120年記念 恩地孝四郎・藤森静雄 画像1
恩地孝四郎《Lyrique No.2 楽曲によせる抒情 ドビュッシィ〈金色の魚〉》 1936

生誕120年記念 恩地孝四郎・藤森静雄 画像2
藤森静雄《二の心》1914

【構成】

はじめに

恩地孝四郎の初期作品 夢二風から『月映』へ

藤森静雄の初期作品 『ホクト』から『月映』へ

[田中恭吉の死]

恩地孝四郎の中・後期作品 具象と抽象

藤森静雄の中期作品 風景版画