
わが国の近代美術館事情45
(5)和歌山県立近代美術館の昨日、明日―その42(最終回)
前回、「時の経つのは早いもので、今年も師走を迎えた」と書きはじめたが、もっと早く感じるのが、私の館長としての当館での勤務である。2017年4月に着任して以来、あっという間の8年間の勤務であった。「あった」というのは、実は、この3月で館長を辞するからである。
私の「近代美術館」勤務も、かつての兵庫、そして京都、和歌山の3館となったが、この経験も他には余り例がないと思う。私の知る限り、東京国立近代美術館副館長、京都国立近代美術館長、そして茨城県近代美術館長を務められた尾崎正明氏に続いて二人目ではないだろうか。
特に私は、「近代美術館」への思い入れが強い。それは、1929年に開館したニューヨーク近代美術館に惹かれ、そのコレクションのみならず開催されてきた展覧会に憧れてもいるからであり、「近代美術館」こそが「前衛」に立ち向かい、ジャンルを超えて遊泳できる可能性を孕んでいると思ってきたからだ。
直近でニューヨーク近代美術館に足を運んだのは、2009年の年末の「バウハウス展」だが、幸運にも、同時期に開催されていたグッゲンハイム美術館の「カンディンスキー展」も忘れられない。ここで1911年作のカンディンスキーが「最初の抽象絵画」と自ら述べていた、初公開の《円のある絵》(ジョージア美術館蔵)を見ることができた。
さて、和歌山県立近代美術館での館長としての8年の勤務を振り返って、雪山行二氏以来専門館長だった熊田司前館長を引き継ぎながらも、その役目を果たし得たかは心許ない限りである。特にコロナ禍があり、展覧会や事業の開催にも制約がかかるという未曾有の体験となった。しかし、当館の初代学芸員であった酒井哲朗氏が名誉館長を務められる福島県立美術館とともに、2020年の開館50年の節目に開催した「もうひとつの日本美術史―近現代版画の名作2020」展は思い出深い。この展覧会がこのようなかたちで開催できたのも、ひとえに福島県立美術館の協力があったからこそである。
また翌年には、「和歌山県誕生150年と紀の国わかやま文化祭2021特別連携事業」として、2部構成で開催された特別展「和歌山の近現代美術の精華」展図録で担当した「年表-和歌山県に関連した美術動向」の作成は、学芸員たちに助けられながらも、これまで大阪・神戸・京都の近代美術史を追いかけてきた私にとって大いに勉強となった。そして2023年の「和歌山県人会世界大会記念事業」である「トランスボーダー 和歌山とアメリカをめぐる移民と美術」展開催を契機として、昨年には、ロサンゼルスの全米日系人博物館と姉妹館提携を結び、和歌山ならではの「移民と美術」を継続する事業に立ち会えることもできた。
また、何といっても、当館のコレクションを活用して手がけられた「和歌山―日本 和歌山を見つめ、日本の美術、そして近代美術館を見つめる」展(2018年)では、近代美術館として、当館が発信するメッセージも込めてみたかった。さらに「コレクション展 2022-夏秋」での「特集 1960s-1980s関西の現代美術『再見』」や、同じく翌年の「コレクション展 2023-春夏」の「特集:美術と音楽の出会い」は、これまでも手がけたかった企画であり、それが当館のコレクションで実現できることも嬉しく思う。
こうして美術館生活45年を振り返ってみても、和歌山での勤務が、最後に私自身の活動の視野を広げてくれた。それが、当館のコレクションの柱となる多数の版画作品との出会いとともに、和歌山県出身の数多くの作家たちを知り得たことである。とりわけそれまで全く知らなかった高井貞二に稗田一穗、さらに原勝四郎や写真の島村逢紅らのすぐれた作品、そしてアメリカへの移民のことや黒川紀章の建築など、教えられたテーマは数多い。
ただ、去るにあたって、最後にどうしても気になるのは、これまで「館長メッセージ」でも書き連ねてきた南海トラフ地震である。これは心配しすぎてもどうしようもないことなのだが、私にとっては、30年前の阪神淡路大震災での被災体験が脳裏から離れないからであり、機会があれば、これからもできる限りその思いを伝え続けていきたい。
それというのも、住んでいた家屋は全壊し、被災の翌年に肝炎を発症して、それからインターフェロン治療が10年以上続き、白血球減少の副作用に悩んでもいた。頭髪が抜けるのは仕方ないにしても、一時はまったく文章も書けなかったのは辛かった。本当に並行して、良く仕事を続けてこられたと思っている。京都国立近代美術館時代に担当した「麻田浩展」の作者が、同じ病で自死されていたことも忘れられない。
それでもこの歳まで、美術館一筋に働いてきたことは感謝してもしきれない。もう10年以上も前になるが、定年後に、愛媛県新居浜市の総合文化施設・美術館(あかがねミュージアム)の建設にもかかわることができたのも、得難い経験であった。ただ、予想を遥かに超えた行政当局との抜き差しならない関係に、眠られない日々もあった。
そうした思いもこめて、美術館での学芸員生活45年間に担当してきたささやかな展覧会の成果も含め、この歳で単著を2冊公にすることもできそうだ。本の話は、10年ほど前からいただいてはいたが、当時は、先の新たな美術館建設の仕事と単身赴任も加わり、公私ともども忙しさにかまけてしまった。その反省の意味も込めて、新たにすべての原稿を再考しながら打ち直すのも大変だったが、校正に追われる中、何とか実現をと思っている。
さらに、この「館長メッセージ」も、多くの方々に読んでいただき、嬉しい感想をメールや葉書でいただいていた。何より、勤務する美術館のホームページでこうした機会を与えていただけたことに感謝したいと思う。そしてこれからは新たな館長のもとで、和歌山県立近代美術館がさらなる発展を遂げ、国際的にも活動がひろがっていくことを願うばかりだ。
これからは、10年以上も前の定年の時に買いながら触っていなかった「ヤマハ・ミュージック・シンセサイザー mx61」と、思いっきり戯れながら、適度の運動は行っていきたい。
それでは、「さらば近代美術館」。
2025年3月30日
山野英嗣
タグ:和歌山県立近代美術館, momaw, 近代