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わが国の近代美術館事情44

わが国の近代美術館事情44

(5)「和歌山県立近代美術館」の昨日、明日―その41

時の経つのは早いもので、今年も師走を迎えた。元日の夕刻には能登半島地震が起こり、私も家にいて慌ててテレビをつけた。正月番組どころではなく、ずっと地震の情報が流されていたのを思い出す。その後8月に起こった日向灘沖の地震に際し、これが南海トラフ地震の想定震源域での発生だったとして「南海トラフ地震臨時情報」も発令された。夏休み時期にもかかわらず、南紀白浜周辺の海水浴場が閉鎖された。日本のどこかで、いつ大地震に見舞われるかもしれない不安がよぎる。

来年は、阪神淡路大震災の発生から30年を迎える。身をもって体験した私も、決して忘れることはない。被災した兵庫県立近代美術館を前身とする兵庫県立美術館でも、この震災30年を捉えて「30年目のわたしたち」と題した展覧会が開かれる。「たった十秒間のできごと」だったと書く小松左京の『大震災’95』(河出文庫)は、迫真の記録である。

兵庫県立近代美術館と和歌山県立近代美術館は、ともに1970年大阪万博開催の年に開館している。1970年にふたつの近代美術館が相次いで開館(兵庫は10月、和歌山は11月)したことの意味も、あらためて問いかけてみたいと思う。そして兵庫は、その後2002年に、震災復興のシンボルとして現在の地に移転し、「近代美術館から県立美術館」となった。和歌山は震災の前年、黒川紀章設計による新館が竣工した。それまでは、兵庫とは逆に「県立美術館から近代美術館」として、23年間、県民文化会館内で活動を続けていた。

和歌山は被災することはなかったが、すでにこの新館も30年を経て、休館しながらも随時、建築工事に着しているところである。後述するカプセルのイベントには、黒川紀章建築都市設計事務所の当時の担当者であり、現在はDNA建築・デザインネットワーク代表の吉田行雄氏も参加され、和歌山の建築への熱い思いを伺うことができた。

 

昨年まで2年間、当館は、日本博物館協会の近畿支部長館を務めた。引き継ぎとして、支部長である三重県総合博物館長の守屋和幸氏に、私は支部の創立50周年記念事業に、ぜひ地震災害関連の講演やシンポジウムを開催していただきたいとお願いしていた。そして12月20日に、京都大学百周年時計台記念館で、「自然災害から資料を守るには-ミュージアムでの防災・減災・復旧を考える-」と題したシンポジウムが開催される案内が届いた。

守屋氏の趣旨説明、京都大学防災研究所・矢守克也氏の「災害多発時代に求められる防災・減災のカタチ」、独立行政法人国立文化財機構文化財防災センター長・高橋洋成氏の「文化財の防災と地域の復興」、神戸大学地域連携推進本部・松下正和氏の「被災歴史資料レスキューの30年〜その成果と課題」という3つの講演とパネルディスカッションという構成である。このシンポジウムは「参加制限はございません」となっていて、最近、京都も国内外からの観光客でひどく混雑しているが、年末近くでもあり、少しは混雑も緩和しているはずなので、多くの方々に参加していただきたいと思う。

 

さて、報告になってしまったが、当館と田辺市立美術館と共同で「仙境 南画の聖地、ここにあり」と題する展覧会を開催した(10月5日から11月24日)。「世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』登録20周年」を記念した特別展であり、会期中には、当館で「近代南画をめぐるトークイベント」を開催した。登壇いただいたのは、大阪大学名誉教授・橋爪節也氏と、枚方市にある公益財団法人天門美術館長・池田方彩氏のおふたりである。

ちょうど会期も重なり、11月に枚方市総合文化芸術センターで開かれていた展覧会「大大阪モダニズムと大阪美術学校」でもシンポジウムが開催された。橋爪氏もパネリストの一人で、池田館長も最後に質問され、南画の問題について触れられた。

これまで近世から近代にかけての日本美術は、西洋からの影響が強く説かれていた。それに対して、大坂画壇について語るときには、「仙境」展でも示したように、中国絵画からの影響関係も問わなくてはならない。「南画」こそ、それがもっとも顕著に表された表現世界であった。大阪美術学校では、洋画・日本画双方に横たわる壁を外そうとする動きもあり、線描を重視する日本画でも石膏デッサンが課され、表現の自由度も高められていた。

枚方市のシンポジウムでも、熊田司・前和歌山県立近代美術館長、菅谷富夫・大阪中之島美術館長ほか多数の来聴者があり、和歌山で開かれた「仙境」展も話題になった。たとえば大阪美術学校の指導者のひとりで、「仙境」展でも重要な位置を占めていた矢野橋村は、旧来の南画に新たな感覚を取り入れようと、新南画の表現を模索した。ギャラリーで開かれていた展覧会も充実し、多くの資料を紹介する図録も作成されていた。

そして当館の「仙境」展のトークイベントでも、泉屋博古館東京の野地耕一郎館長ほか多数の方々に参加いただき、「南画」を軸に現在の日本絵画研究の一端をになう展覧会となった。

 

また先月には、当館で「秋の中銀カプセルA908イベント 1」として、講演会「黒川紀章のカプセル建築」を開催した。登壇者は、中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト代表の前田達之氏、そして黒川紀章のご子息で、株式会社 MIRAI KUROKAWA DESIGN STUDIO代表取締役の黒川未来夫氏のおふたりである。黒川紀章が、カプセルタワービルの設計までに至った経緯、そして実際に住まわれ、ひとつの集合住宅として、どのような生活環境が提示されていたかについてさまざまの問題点が示されながらも、いかに「保存・再生」し、建築遺産として後世に残していくかを問いかける対談となった。

そして、これもカプセルの恒例行事として定着してきたが、東京から、かつての住人であったコスプレ声さん、さらにこのメッセージでも紹介したアメリカ移民二世画家の「ミリキタニの猫」の映画の製作者・吉川マサ氏ご夫妻ほかの方々もこの対談を聴きに来館された。私も、特にマサ氏から、音楽や映画などについて新たな情報を得ることもできた。

 

あらためてこの1年の展覧会活動を振り返れば、厳しい予算の中での活動ではあったが、前述した昨年から引き続いての田辺市立美術館と共同での展覧会の開催、さらに「なつやすみの美術館14 河野愛「こともの、と」」展も開催することができた。ただ、「仙境」展と同時に開催した「10年ぶりの月映展での試み 館蔵品と個人コレクションによる私輯『月映』の大胆な再検討」(当館HPより)として、「I ハレー彗星の輝く夜に」ほか3章構成による刊行110年の記念展「月映 つきてるつちに つどいたるもの」で、図録を作成できなかったことは残念でならない。コレクションを中心にした展覧会であっても、出品目録だけでなく『コレクション・カタログ』として、広く美術館の活動を伝えておかなければならないと思うからだ。

そして5月には、昨年の「トランスボーダー 和歌山とアメリカをめぐる移民と美術」展で特別協力いただいたロサンゼルスの全米日系人博物館と、岸本周平知事立ち会いのもと、姉妹ミュージアムの提携を結んだことを、最後に記しておきたい。

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