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わが国の近代美術館事情37

わが国の近代美術館事情37

 

(4)「和歌山県立近代美術館」の昨日、明日―その34

 

前回、開催する「展覧会の連なり」について、私なりの思いを綴ってみた。それは、展覧会の内容がまったく異なっていても、そこには確かな「繋がり」が潜んでいることである。

当館では、2月から5月にかけて、「コレクション展 2023–春」の特集として「新収蔵 奈良原一高の写真」展を開催した。これは、一昨年に開催した和歌山県誕生150年と紀の国和歌山文化祭2021の特別連携事業「和歌山の近現代美術の精華」展の第2部「島村逢紅と日本の近現代写真」展の成果が引き継がれた展覧会であり、その図録に寄せた拙稿「和歌山のモダニズム−写真家・島村逢紅」でも、当館の「写真作品コレクションの貴重な第一歩」として、コレクション展での奈良原の新収蔵作品の企画を予告した。そして奈良原一高アーカイブズの楢原恵子氏からご寄贈いただいた《人間の土地》、和歌山の女子刑務所も撮影地に含まれた《王国》や《無国籍地》も加えた約200点の「特集」展示が実現したのは、「展覧会の連なり」という意味でも貴重な機会となった。

そして、今回、引きついで開催した「コレクション展 2023–春夏」(5月20日〜7月30日)の特集は「美術と音楽の出会い」とした。この「特集」では、美術すなわち「抽象絵画の父」と呼ばれるワシリー・カンディンスキーと、音楽すなわち「無調音楽を開拓し、12音音楽を確立した」アルノルト・シェーンベルクとの、まさに「出会い」から、美術と音楽ふたつのジャンルの革新的表現が生まれたことを、展覧会の導入に掲げた。当館は、国内外の版画コレクションでは、質量ともに第一級の作品群がそろっているが、その中に、カンディンスキーの木版画を掲載した詩画集《響き》(1913年)がある。

私自身、この《響き》には思い入れも強く、この詩画集に掲載された木版画作品には、はっきりと「具象から抽象へ」といたる脱対象化表現への進展が示されているのではないかと思ってきた。それというのも、《響き》に収録された木版画56点のうち、47点が1911年の制作であり、それ以後、1912年制作の5点の作品を最後に、カンディンスキーは木版画制作を行なっていない事実があるからだ。

その背景に、1911年の1月1日に開かれたシェーンベルクのコンサートにカンディンスキーが出かけ、そこに「未来の音楽」を感じとり、絵画でも、新たな表現としての「抽象」実現の可能性を確信する。カンディンスキーは版画の「黒と白」による形態の自律を追求し、シェーンベルクが開拓しようとしていた音楽における革新、すなわち無調音楽の産声に導かれるように、1911年にはじめての「抽象絵画」である《円のある絵》(ジョージア国立美術館蔵)を描くことができたのだろう。音楽との出会い、そして版画による実践が、「抽象絵画」誕生の原動力となっていたに違いない、と私は思う。

さらに1912年には、カンディンスキーがフランツ・マルクと編集して出版した、20世紀初頭の新しい芸術宣言書である『青騎士』誌にも、シェーンベルクの楽譜は収録され、その「出会いと交流」が深まる。後年には、シェーンベルクに強く影響された現代音楽を代表するジョン・ケージも、自ら提唱するチャンス・オペレーションの原理を版画制作にも取り込み、当館はその代表作3点を収蔵している。また『青騎士』には、アンリ・マティスの油彩画大作《ダンス》や《音楽》の図版が掲載されているが、マティスも晩年、《ジャズ》と題する大胆な形態把握と鮮やかな色彩による作品群を残している。

わが国では、静謐な作風で知られる岡鹿之助が、アトリエに高品質のオーディオを配し、レコードを聴きながら制作に没頭していた。そして当館で、今年の2月から4月にかけて開催した「とびたつとき 池田満寿夫とデモクラートの作家」展に出品された池田の《Something 1》(1966年)の版画作品が、日本で編集されたマイルス・ディビスの《1958 マイルス》のLPやCDジャケットに採用され、今回の「特集」でも展示した。

当館に先行して、1952年に国立を冠するはじめての近代美術館として開館した東京国立近代美術館の「1970年8月:現代美術の一断面」展では、会期中に内田裕也がプロデュースしたフラワー・トラベリン・バンドが、コンサートを開いていた。同年に発表されたLPジャケットには、篠山紀信とサイトウ・マコトの写真が採用され、写真家としても知られるデニス・ホッパーの「イージー・ライダー」を彷彿とさせるものとなっている。実は、このコンサートのことを知ったのは、昨秋、当館で開催した「ミティラー美術館コレクション展」の館長・長谷川時夫氏について触れた、川崎弘二氏の著作『ストーン・ミュージック 長谷川時夫の音楽』(engine books、2021年)だった。ここで川崎氏は、東京国立近代美術館でのフラワー・トラベリン・バンドのコンサートについて、開かれた経緯も含めて詳述され、同館の『東京国立近代美術館60年史』にも、このコンサートについての記録がある。ここにも、先に触れた池田満寿夫作品とともに、意外な「展覧会の連なり」を感じる。今回、私が担当した「コレクション展 2023–春夏」の特集「美術と音楽の出会い」も、こうした池田満寿夫やフラワー・トラベリン・バンドのLPジャケットのことが契機となり、さらに構想が膨らんでいったのだった。

また、この「特集」を準備しながら、同じ趣旨の企画が、大阪府立江之子島芸術創造センターでも行われていたのには驚いた。それが3月から5月にかけて、当館で「美術と音楽の出会い」を開催する直前に開かれていた「20世紀のイメージとサウンド〜音楽でたどる大阪府の美術コレクション〜」展だった。これは同館の名誉館長・立川直樹氏とキュレーター・中塚宏行氏の企画であり、大阪府がコレクションする現代美術作品と、多くはロックやジャズなどのLPジャケットを関連づけて展示する興味深い企画であった。立川氏は、若い時からピンク・フロイドのライナー・ノーツをはじめ音楽評論家として活動されてきたことは周知のとおりである。中塚氏も大阪府で、学芸員としての豊かな経験をもたれ、同展の出品者である藤本由紀夫氏と中西學氏を交えたトークショーも、YouTubeで見ることができた。このような「展覧会の連なり」を感じる企画が、他館でほぼ同時期に開かれたのも思いもかけないことだった。

現代美術家とミュージシャンとのコラボレーションでは、サンタナの《ロータスの伝説》(1973年)や《アミーゴ》(1976年)のLPジャケットを手がけた横尾忠則や、1970年の大阪万博・鉄鋼館のパビリオンで、武満徹と宇佐美圭司が立体音響劇場「スペースシアター」を企画し、武満の《ミニアチュール第2集》(1973年)のLPジャケットにも、宇佐美の版画作品が採用されている。

海外では、ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコをプロデュースしたアンディ・ウォーホルのバナナが配されたジャケット(1967年)が有名だが、同年のザ・ビートルズの《サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド》(1967年)のジャケットを制作したピーター・ブレイクや、イギリスのヒプノシスと名乗るデザイン集団が手がけたLPジャケットも見逃せない。ヒプノシスは、ピンク・フロイドの《神秘》(1968年)を皮切りに、ロック・バンドほか数多くのミュージシャンの奇抜なジャケットを制作し、ピンク・フロイドの《ザ・ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン(狂気)》のジャケットをはじめとした仕事は、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館でも、2017年に大回顧展として開催された。

また昨年、京都でも展覧会が開かれたブライアン・イーノは、自ら《アンビエント1 ミュージック・フォー・エアポート》のジャケットをデザインし、いわゆる図形楽譜も試みている。武満徹と同じ実験工房で活動した作曲家・湯浅譲二にも図形楽譜があるが、今回の「特集」では、ジェルジュ・リゲティの《アルティキュラツィオン》(1958年)と題された楽曲の図形楽譜も加えた。こうして意外な「展覧会の連なり」の成果が、今回の特集展示「美術と音楽の出会い」にも生かされたと思っている。

(山野英嗣)

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