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館長のおススメ―10月の一品 香山小鳥《風景》(回覧雑誌『密室』6号[無題])

香山小鳥《風景》(回覧雑誌『密室』6号[無題])1912年頃

およそ1世紀前の東京に、弱冠21歳と4ヶ月で、その名のごとく果敢ない生命を終えた版画家がいました。香山小鳥(本名は藤禄)です。信州下伊那(現在の飯田市)に生まれ、中学を卒業後上京した小鳥に、一家が移住した深川の家で息を引き取るまで、残された時間はわずか2年余でした。その間、東京美術学校彫刻科塑像部志望に入学し、竹久夢二の面識を得てその若い仲間たち、田中恭吉や恩地孝四郎などと親密な交遊を開始。さらに「サビ彫り」で知られた木版彫刻の名人伊上凡骨に弟子入りし、独創的な木版画の創造に手が届いたその矢先の死でした。

残された10点余の木版画習作は、生前発表される機会がなく、世に埋もれて消える運命だったかも知れません。しかし、田中恭吉や恩地にとって、目前に残された小鳥の遺作版画は、自分たちが進むべき未明の道を赫々と照らす前照灯のように見えたのではないでしょうか。小鳥亡き後の1915(大正4)年、恭吉は公刊『月映』にこの作品を機械刷で載せ、小鳥と自分の短歌を歌集「ゆめの日のかげ」として発表、薄倖の詩人画家をひとびとの褪せることない記憶に留めたのでした。

交差する堀割の河岸を人々が往来し、四角いビルディングが目立ちはじめる、大正改元から日も浅い深川のどんよりした空に、冬の太陽が昇ります。コマスキ(丸刀)で彫り残した、神経のような肥痩ある墨線の網目が、朝日の光線と煙突に棚引く煙を浮かび上がらせます。伝統的な木版の、下絵の輪郭を丹念に版木刀で彫り出すやり方とは異なり、コマスキなどの彫刻刀で自由闊達に彫り進める造形はみずみずしい情感をたたえて、その後の創作版画が向かう道筋を明快に示す先駆的な仕事となったのではないでしょうか。

 

「香山小鳥:ゆめの日のかげ」は、12月1日(日)まで開催中です。

 

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