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わが国の近代美術館事情43
(5)「和歌山県立近代美術館」の昨日、明日―その40
最近、当館の内外で話題になっている黒川紀章の中銀カプセルタワービルA908号室のプロジェクト。美術館のエントランスに設置したその姿は、黒川紀章設計の当館にこそもっとも似合うのではと思っている。設置の様子については、当館のホームページやYouTubeでも紹介していたので、ご覧いただいた方も多いだろう。
しかし残念ながら、今はこのカプセルに住まうことはかなわない。そこで、かつての住民の方々は、同ビルの「保存・再生プロジェクト」を立ち上げられた。当館のカプセルも、このプロジェクト代表・前田達之氏のご理解・ご協力を得ながら、エントランスでの公開が実現している。
さらに当館の友の会にも協力いただきながら、現在、カプセルのアピールを行っているところである。たとえば、グラフィックデザイナーの渡辺和雄氏による、オリジナルのアートポスターの制作販売や、和歌山の重要な地場産業である繊維業を代表して、「和歌山ニット」を扱うショップtunaguの企画でオリジナルニットのTシャツが、丸和ニット株式会社、貴志川工業株式会社、有限会社オランジェの協力を得て販売されることとなった。加えて、美術館関係者にもお馴染みのTAKIYAによる「MOMAW A908」オリジナル・キーホルダーも商品化された。現在、東京の代官山蔦屋書店でも「中銀カプセルA908 at 和歌山県立近代美術館」として、これらの製品も紹介、販売されている。
そして、このカプセルの住民のお一人だったDJ、そしてコスプレイヤーである声さんによる「コスプレ声ちゃんのカプセルタワービルデイズ展 in 和歌山」が、1階ロビーで6月30日まで開かれた。最終日には、DJイベント「帰ってきたカプセルディスコin 和歌山」が昼夜開催され、オープニングでは声さんとともに、私も黒川紀章の「カプセル宣言」の朗読が楽曲に含まれる一柳慧のEP《MUSIC FOR LIVING SPACE》に針を下ろし、その勢いで、かつて東京国立近代美術館で開かれた「1970年8月 現代美術の一断面」展で、会期中のコンサートで演奏されたフラワー・トラベリンバンドのデビュー・アルバム「Anywhere」(1970年)から《21世紀の狂った男》、続けて「ポップ・ミュージックの新感覚派」呼ばれたヒカシューの巻上公一が、KRAFTWERKの原曲《DAS MODEL》を作詞・アレンジした《モデル》など、中銀カプセルと同時代の1970年代初頭の楽曲を流してみた。声さんのほか、参集した和歌山市内で活躍するDJの方々とともに、私にとっても、昨年のコレクション展の特集「美術と音楽の出会い」展の「レコード・コンサート」以来の出番となったが、はじめてのDJ体験と、ささやかなレコード・コレクションも今頃役に立ち、内心嬉しく思っていた。
さて、「土が開いた現代 革新するやきもの」展、「コレクション展2024―春 特集 小さくていいものあり〼」展、そして「カプセルタワービルデイズ展 in 和歌山」も閉幕し、先月からは、恒例の「なつやすみ美術館14」として「河野愛 こともの、と」展、そして「コレクション展2024―夏」の「特集:旅する美術」展を、9月23日まで開催している。
「河野愛 こともの、と」展では、8月10日に作家・河野愛氏と上智大学教授で英文学がご専門の小川公代先生をお招きしての記念対談を開いた。小川先生には『ケアする惑星』(講談社、2023年)という著書があり、私もその書名に魅せられて買い求めた。文学作品をとおして「『他者への関心をさし向ける』というケアの価値」に注目し、広くアートにおける「共感覚」についても触れられるなど、小川先生の「関心」の広がりが示された著作である。
そして今回の、美術展としては意外にも思われる「ケア」の視点を交えての2時間以上に及ぶ対談は、最後まで興味は尽きることなく、「美術作品」の新たな可能性を問いかける場ともなった。河野氏のご実家は、白浜の老舗・ホテル古賀の井で、その建物に掲げられていた「古賀の井」のローマ字電飾「I」と「O」をモチーフにした作品や、「異物/異者」と表記される古語をテーマに、乳児の柔らかな肌のくぼみに真珠が挟まれるという「異物」が混じる写真作品や映像などとともに、作家自身が選定にも加わった当館のコレクションも交えて、会場が構成されている。
それは本来、「異物」である「作品」同士も、展示という営為によって混じり合うことが提示され、さらに過去を意識して「造形作品の時間性」もクローズアップされてくる。先のお二人の対談を聞いて、私は「美術と生活」、そして「美術と時間」といった問題についても思いをめぐらす機会ともなった。
さらに、1階の「コレクション展2024―夏」の「特集:旅する美術」展に足を運べば、「こともの、と」展と共鳴する感覚にも気づくのではないだろうか。「こともの、と」展で紹介されていた「I」と「O」の電飾が、老舗ホテルの「もの」であったと知るとき、何か遠い過去に訪れたことのある郷愁めいた気持に包まれる。それは、現代ではもはや見ることのできない風景が、作者・河野氏の手によって再生され、作品化されるという営為の再確認の場ともなる。その時代の「現代美術」であるに違いない作品は、やがて時を経て、中銀カプセルや河野氏の作品がそうであるように、その時代の観者に再認識され、生まれ変わる可能性をもつだろう。
「特集:旅する美術」展の作品からは、画家たちが現実に見つめる風景を刻印しておきたい意志も伝わってくる。私も、これまで都市風景やシュルレアリスム的な風景ばかりに目が向いてしまい、「新日本百景」や「紀伊百景」といったテーマを軽視してきてしまったが、今回、この特集展示や河野氏の展覧会からも、「風景」について再考する得難い機会となった。そして、ニューヨークのランドマークであったツインタワーや、中銀カプセルタワービルももう銀座では見られない。人口減少や再開発がすすむことで、見慣れた「風景」は激変し、過去の記憶となってしまうこともある。美術史では、画家たちが描いた場所を求めて、特定することも、ひとつの研究テーマともなる。
20世紀初頭の萬鐡五郎やカンディンスキーのように、特定の風景を見つめながら、「抽象」表現へと向かうという画家たちの意志も見逃せない。萬は、「南画の構図は現実の風景を取り扱わない」として、カンディンスキーの主張するコンポジション、そして「力学的成形心理」や「純粋な表現衝動」という言葉で「風景」を捉え直し、新たな表現領域を追い求めた。
今秋には、当館と田辺市立美術館と共同で「仙境 南画の聖地、ここにあり」と題した展覧会もはじまる(10月5日から11月24日)。「世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』登録20周年」を記念しての特別展であり、この展覧会も「風景」について想いをめぐらす好機となるだろう。
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