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館長のおススメ―11月の一品 梥本一洋《岬》

梥本一洋《岬》1938年

江戸時代の中期に円山応挙が創始し、近代にも継承された円山派は、応挙の弟子呉春にはじまる四条派とともに、京都画壇の屋台骨となってきました。写生を基礎にした平明温和な筆づかいで、山水や花鳥・動物を描くところに本領がありましたが、なかで珍しく王朝風のテーマを濃麗な色彩、謹直な筆づかいで描く「やまと絵」に終始した数少ない日本画家が梥本一洋(まつもと・いちよう/1893-1952)です。京都四条の染織図案業の家に生まれ、当然のように市立美術学校、絵画専門学校と進んだ一洋が師事するのは、しかし四条派ではなく円山派の中心人物山元春挙でした。ただ、時代はすでに師承相伝の画塾時代ではなく、画学生仲間と学校に集って競い合う「学校派」が京都にも現れた大正前期でした。もっぱら山水樹石やバラを写実的に描くのを得意とした師の春挙よりは、京都で大いに流行した世紀末的なデカダン(頽廃派)趣味の同世代画家たちから、一層つよい刺激と影響を受けたようです。そして、にごりを含んだ濃い色彩で王朝絵巻の世界や京の風俗を描く、一種独特な作風を確立し、帝展日本画の中心的な作家となったのです。

昭和に入ると、一洋は風景を描くことが多くなり、そうした新しい境地から生み出された一点がこの作品です。三重県鳥羽の石鏡(いじか)で見た、魚婦や子どもたちが楽しげに暮らす漁村の日常を描きたかったと制作動機を述べ、「しかしもっと完全に仕上げたかった」と一洋は語っています。そういえば、色彩はやや淡白で描き込みも不足気味に感じられますが、逆にそれがさわやかな海風が吹き抜けるような爽快感を生み出しているともいえましょう。昭和13(1938)年秋の第二回新文展への出品を急ぐあまり、夏の漁村を大構図にまとめるには時間が足りなかったのでしょうか。それでも、海に張り出した巌崖で波風から護られた小さな砂浜に小舟を並べ、漁を終えた海女たちが陽の光に冷えた身体を温めながら、子どもたちも交えて談笑する休憩のひとときの楽しさは、十分に画面から伝わってきます。ひとかたまりに谷間に身を寄せる漁村らしい板葺き屋根の家々、丘に登ってゆく一本の道は鎮守の社にでも通ずるのでしょうか。景勝地らしく姿の良い松が群生し、その上には山村のように緑濃い眺めが広がっています。

第二回新文展に出品された後、この作品を譲り受けたいとの申し出がおそらくあったのでしょう。出品時のパネル仕立てから二曲一隻の変形屏風に改装され、民間のお宅で大事に保管されてきましたが、所蔵者のご厚意により、縁あって昨年当館に寄贈されることとなりました。出品の時から数えて、実に75年ぶりに美術館で展示されることになります。1階展示室の「コレクション展2013-秋」でご覧いただけますので、この機会にぜひともお運びください。

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