トップページ >館長からのメッセージ >わが国の近代美術館事情11

わが国の近代美術館事情11

(4)「和歌山県立近代美術館」の昨日、明日—その8

 

6月18日に、大阪で観測史上はじめての規模の地震が起こった。当日は月曜日であったため、私は住まいのある京都に戻っていたが、地震発生時の衝撃には驚いた。それというのも、1995(平成7)年の阪神淡路大震災をまともに体験した記憶がよみがえってきたからだ。当時、私の住んでいた4軒長屋は、向かいの家が倒れ込んだ衝撃で基礎が大きくずれて全壊認定されたことに加え、道路を隔てて建っていた文化住宅の1階が押しつぶされて、そこに住んでいた人は全員亡くなり、その遺体の搬送が、地震発生から2日後で、散乱した家財の片付け、断水や半年近くたってから供給再開されたガスなど、住まいのあるコミュニティーと仕事場のはざまに悩みながらの毎日だった。地震以後に待ち受ける被災体験がいかに辛いか、身をもって知らされた。それ以降、少しでも「ドン」という音がすれば、すぐさま地震ではないかと思うようになってしまった。

そして今回、翌日に京都からJRで和歌山に通勤した際は、まだ地震の影響もあり、列車ダイヤも乱れ、いつもより1時間ほど遅れて館に着いた。仕事柄、新幹線を利用することも多い。さらに地震発生の前週には、遠方から委員の方々を迎えて、今年度の和歌山県立近代美術館協議会を開いていただけに、いつ起こるかわからない地震と向き合う課題を背負いながらの美術館運営に心も痛くなる。

さて、平成30年度の協議会は、10名の方々に出席いただいた。翌日の事業評価をはじめ2日間にわたる協議会の開催は、わが国の美術館でもおそらく和歌山だけではないだろうか。とりわけ当館の学芸員第1号であり、現在は福島県立美術館名誉館長の酒井哲朗氏、多摩美術大学学長で埼玉県立近代美術館長の建畠晢氏、富山県立美術館長の雪山行二氏、そして独立行政法人国立美術館監事で、私が兵庫県立近代美術館に勤務していた時の先輩学芸員でもある山脇佐江子氏には、2日間多々議論いただき、私も館長として緊張の時を過ごした。

私は、昨年4月に当館館長として着任したが、それから1年余を経て、その協議会でも報告した昨年度当館で開催された展覧会について、今回と次回は、私なりの視点であらためてふりかえってみたい。

和歌山県立近代美術館といえば、1985(昭和60)年にはじまった和歌山版画ビエンナーレ展が、まず思い浮かぶ。60年代から70年代にかけて、版画は、いわゆる現代美術の領域で、重要な表現媒体となった。そして版画に特化して制作する作家たちも数多く現れた。こうした状況をいち早く、しかも地方公立館から発信して、全国レベルにまで存在感を高めたビエンナーレは他に例がない。

私も当時、兵庫県立近代美術館の学芸員として勤務しはじめてまだ5年目で、兵庫も「版画と彫刻」の美術館として活動方針を打ち立てていたが、こうしたビエンナーレ展が開催されたことに対して、当時は詳しく知らず、認識不足であったことが悔やまれる。兵庫では、「アート・ナウ」と題した関西の現代美術動向を紹介する、美術館としては当時唯一の総合展示を行い、この「アート・ナウ」に出品されていた版画作品は、当然目にとめていた。しかし、兵庫では「アート・ナウ」に出品された作品をコレクションしていくことはなかった。一方和歌山では、この版画ビエンナーレで大賞や優秀賞、佳作に選ばれた作品を、版画コレクションとして積極的に蓄積していったのは意義深い。

また当時の兵庫の版画コレクションは、日本では現代作家、さらに海外の近代

版画は数多く収集していたが、日本近代版画の原点ともいうべき恩地孝四郎や『月映』関連の作家、そして創作版画など、和歌山のコレクションがより充実していることをあらためて実感したのは、私が和歌山に勤務してから後のことだった。そして私が、昨年4月に和歌山に着任し、そのきっかけを与えてくれたのが、「現代版画の展開」展(4月8日から6月25日まで開催)であった。

現代、まさに「現代版画」は、どのように捉えられているだろうか。この展覧会では、版を介し、イメージを転移させる「間接性」と、「複数性」というオリジナルの制作が可能となった版画固有の特質に注目し構成されていた。本展のポスターやチラシに、横尾忠則が制作した《第6回東京版画ビエンナーレ展》のポスター(1968年)が使われていたように、サンパウロ・ビエンナーレでの浜口陽三や駒井哲郎の入賞、そして東京国際版画ビエンナーレから和歌山版画ビエンナーレへと「展開」する様相が示された展覧会だった。さらにモノタイプや版画の概念を拡大する大型作品の登場など、確実に版画は時代を映し出す表現となっていったことが示されていた。

ところで、多くの名だたる画家たちが版画制作を行うのはなぜだろうか。ヨーロッパでも古くはデューラーやブリューゲルはじめ、ゴヤやアンソールなど数多くの作家が存在する。もちろん「刷る」という「印刷」上の側面から見れば、現代では「印刷」という紙媒体での表現伝達の状況も変化してきていることはいうまでもない。だが、それでも「版」という魅力ある表現手法が消え去ることは考えられないだろう。次回は、当館の版画コレクションも含め、昨年度に開催した展覧会について記しておきたい。

(2018年6月27日)

 

 

ツイートボタン
いいねボタン