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(4)「和歌山県立近代美術館」の昨日、明日—その7
今回も引き続いて「博物館法」に関わる話を。それというのも、公益財団法人 日本博物館協会が編集発行する『博物館研究』(Vol.53 No.4 通巻598号)に、「巻頭エッセイ」として、小佐野重利東京大学名誉教授が、「グローバル時代だからこそ、現行の博物館制度と学芸員について考えてみる」という一文を寄せられているからだ。小佐野氏は、すでにこの「館長メッセージ」でも紹介した日本学術会議史学委員会博物館・美術館等の組織運営に関する分科会「これからの博物館のあるべき姿〜博物館法をはじめとする関連法等の改正に向けて〜」の提言者であり、本年1月20日に開かれた東京文化財研究所のシンポジウムの登壇者のお一人でもあった。
ここで小佐野氏は「博物館もまた、明治政府が先進諸外国から取り入れて翻訳した名称であり近代国家をめざす日本にとって欠かせない新しい文化装置であった」とし、江戸の松平定信らの編纂になる『集古十種』(古美術の木版図録集、寛政年間)を「欧米でキュレーターの重要な業務であった鑑定・研究の日本での嚆矢といってよい」と位置づける。そして「博物館法の制定に大きな影響を与えた木場一夫が文部省嘱託として『大東亜博物館建設ニ関する調査』をおこない」、それらの資料の中に、「大東亜博物館」機構図と同「設立準備事務局」機構図が残され、「戦中の文部省で練られた大東亜博物館『設立準備事務局』機構図の『学芸官』の配置が現行の博物館法における学芸員の定義や職務の内容に縮減された形で継承されているとみるべきである」とされている。
また、「木場一夫は、アメリカ合衆国の博物館教育の推進者セオドア・L・ロウが提唱する『社会的な道具としての博物館』の理論を援用していたようで、大東亜博物館建設準備の段階で、日本と同じように西欧に遅れて建国し世界強国にまでのしあがった合衆国の博物館をスタンダード・モデルに考えていた」と、小佐野氏は記す。すでにわが国の近代美術館建設にいたる一端を、隈元謙次郎の「日本における近代美術館建設運動史」を手がかりに、この「館長メッセージ」でも紹介してきたが、こうした日本の近代博物館建設のルーツについても、その史的経緯に即してあらためて検討してみる必要があると、小佐野氏のエッセイを読んで痛感した。このような史的考察は、これまで余り試みられてこなかったからである。
特に「社会的な道具としての博物館」という視点は、わが国で社会教育施設と「博物館・美術館」が位置づけられている現状をふりかえる意味でも、そして「博物館法」制定の原点を探る上でも再考が必要だ。そして小佐野氏は、このエッセイをこう締めくくる。「博物館法に定める学芸員は国家資格であるものの、任用資格のため、地方公共団体等の公立博物館には通常行政職で採用され、社会的にはまだ専門職としてのステータスは低い。グローバル時代だからこそ、諸外国の博物館法や制度と比較しながら、世界に誇れる博物館法にするべく、博物館登録制度の改正とともに、法律でも学芸員を研究者と明確に認めさせることが喫緊の課題である」と。
そして今日の博物館の現場で、私がとりわけ気になるのが、学芸員とともに、博物館法における「館長」の定義である。博物館法では、第四条「博物館に、館長を置く」とし、「2 館長は、館務を掌理し、所属職員を監督して、博物館の任務の達成に努める」とされている。館のトップとして「掌理、監督、任務の達成に努める」は当然のこととしても、いわゆる館長の「資格」については触れられていない。続く第5条で、「学芸員の資格」が明記される。
「平成30年度 文部科学省・文化庁における博物館振興策の概要について」の「1.総論」では、特に2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会や、来年秋のICOM京都大会などの開催に向けての課題などが示されている。そして「2.学芸員等の質の向上」の第2項目に「博物館長研修」を行うとし、「博物館の管理・運営、学芸業務等に関する専門知識の習得など、博物館運営の責任者としての力量を高めることを目的としている」とある。国立でもそうだが、公立館でも、館長にいわゆる行政職の立場の者が就任している例は数多い。この「博物館長研修」では、そうした行政職経験者の受講が想定されているのだろうか。博物館施設での現場経験の有無が、「博物館長研修」を促す根底にあると思われるが、首長や教育長経験者などが館長を務めている館もあり、「館長の資格」について定義はない。
和歌山県立近代美術館では、2009(平成21)年に雪山行二氏が館長に就任して以来、熊田司氏が5年館長職を務められた後、私が昨年4月からその職にある。
雪山氏以前は、開館以来、県の行政職の方々が館長であった。
館長の着任については、それぞれの設置母体の事情も当然ある。しかし、こと美術館というヴィヴィッドな器の陣頭指揮を執るには、今では伝説となった土方定一氏や、今泉篤男氏といった強烈な個性が存在していたことを忘れるわけにはいかない。そして両者とも、館長としてわが国の「近代美術館」の運営をリードしていった。ここには、たんに「館務を掌理」し、「任務の達成に努める」だけではない、独自の理想を掲げた「館長像」が示されていた。
(2018年5月9日)