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わが国の近代美術館事情18

わが国の近代美術館事情18

(4)「和歌山県立近代美術館」の昨日、明日―その15

当館は1月下旬から空調器機工事のため休館していたが、無事工事も終了し、4月27日には全館再開した。2階の展示室では、企画展「LOVE(your)LIFE! まいにちがアート」展を6月30日(日)まで開催し、1階では「コレクション展2019—春 +新収蔵作品」展を5月19日(日)まで開いた後、鳥取県立博物館を皮切りに、全国4会場を巡回する「ニューヨーク・アートシーン ロスコ、ウォーホルから草間彌生、バスキアまで―滋賀県立近代美術館コレクションを中心に」展を、現在開催中である(9月1日まで、その後徳島県立近代美術館、埼玉県立近代美術館を巡回)。開催初日の開会式には、本展覧会の監修者というべき鳥取県立博物館副館長の尾崎信一郎氏、徳島県立近代美術館長、そして滋賀県立近代美術館副館長にも出席いただいた。尾崎氏とは、私もかつてふたつの美術館でともに働き、まさか和歌山でふたたび出会いがあるとは思ってもみなかった。彼とは、かつて大阪城ホールに、ピンク・フロイドのコンサートを一緒に聴きに行くなど、共通の関心もあった。

さて、私は美術館活動について、持論ともいうべき思いがある。それが、展覧会における「常設展示」の重要性の主張にほかならない。和歌山に着任してあらためて共感したのは、美術館に入ってまず訪れる1階の展示室を「常設展示室」に、2階を「企画展」や「特別展」の会場として使用することが、ほぼ定着していることだった(勿論展示作品や期間の制約上、今回の「ニューヨーク・アートシーン」展のような例外はあるが)。これは美術館で、コレクションを最初に知ってもらいたいという姿勢を示すのだが、実はこれを実行するのは、日本の美術館ではなかなか難しい。

そして「常設展示の重要性」は、前職の新居浜市美術館建設の際にも痛感し、建設準備当初は想定されていなかったわずか250平米の展示室を、何とか「常設展示室」として確保させたいと、在職中ずっと思い続けてきた。それは、前身の新居浜市立郷土美術館時代から収集されてきた1000点近い作品が、すべて地元の方々からの寄贈によるものであり、その篤志に応える意味でも、これらの収蔵作品を順次展示する場は欠かせない、と思っていたからだ。

これまで全国津々浦々を回り、仕事とはいえ美術館・博物館施設をめぐってこられたのは得難い経験であった。と同時に、私が地方の町を訪れて楽しみにしているのは、できる限り、その町にある図書館にも立ち寄ってみることだ。それは閲覧室でゆっくり本を読んで、借りたりするということではなく、どんな小さな図書館にも必ずある「郷土のコーナー」に足を運び、その書架に並んだ本の背表紙を眺めることである。するとその町がどんな人物を輩出し、産業などの特色があるかが、すぐにわかる。昨年も、島根県立石見美術館で当館の所蔵品を集めた展覧会が開催された時、開会式前後の時間をみつけては、すぐ近くの益田市立図書館の「郷土コーナー」を訪ね、森鴎外らゆかりの人物の書物が並べられているのをながめ、石見美術館とのかかわりも知ることができた。

この図書館と同じように、私が新居浜市に赴任して感じたのは、駅前の好立地とともに、美術館における「郷土のコーナー」、すなわち新居浜に関わる作家たちの作品を紹介していく「常設展示室」の存在価値の重要性だった。「新居浜の美術」と言ってみても、新居浜市に住んでいる人たちでさえほとんど知らないから、「常設展示」展を積み重ねて開催し、郷土の美術を、そして美術館のコレクションを伝えることが、新設の公立美術館には、とりわけ必要だと思ったからにほかならない。

加えて、美術館のコレクションは、その館の性格を鮮明に映し出す鏡でもある。当館では、現在「ニューヨーク・アートシーン」展を開催しているが、この展覧会の核をなすのは、滋賀県立近代美術館所蔵の戦後アメリカ美術の系譜を示す作品群である。本展覧会の図録の冒頭文で、尾崎信一郎氏は、「この展覧会のサブタイトルにあるとおり、滋賀県立近代美術館が誇るコレクションを中心に構成されている。長い改修工事に入ったためにこの美術館の優れたコレクションをまとめて借用することが可能になった僥倖に感謝しつつも、日本でこのような展覧会が実現可能であることにはいささかの驚きを禁じ得ない。なぜなら公立美術館の場合、作品の収蔵はそれらが設置された地域の美術との関わりが前提とされるからだ。滋賀県立近代美術館の場合も滋賀県とゆかりのある小倉遊亀や志村ふくみの作品をまとめて収蔵している。この一方で同じ美術館が特に深い関係があるとも思えない戦後アメリカ美術についての日本屈指のコレクションを有しているという事実は、開設時に収集方針の策定に関わった関係者の慧眼に多くを負っているにせよ、すでに35年前の美術館開館当時において、戦後アメリカ美術が日本の公立美術館によって系統立てて収集されるに足る正当性を得ていたことを暗示しているのではないだろうか」と書き、さらに「私たちはニューヨークで制作された『ローカルな美術』が戦後美術の主流であるという認識が地方の公立美術館を含む多くの美術館関係者によって広く共有されていることを知る」と続ける。

私はここに、これらニューヨークの近代美術が、まさに1913年のいわゆる「アーモリー・ショー」、そして1929年の「近代美術館(MoMA)」の開館によって、パリをはじめとしたヨーロッパ近代美術との対比のうちに生み出されたことを思い起こす。そして日本で、「近代美術館」という名称をあえて掲げる滋賀県だからこそ、こうした果敢な挑戦も可能だったのだろう。滋賀県の「近代美術」を紹介し、同時にアメリカの「近代美術」を紹介する。この展覧会を開催することで、私はあらためて、和歌山県と滋賀県ふたつの「近代美術館」について思いめぐらす機会が与えられた。

(2019年6月14日)

 

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