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わが国の近代美術館事情21

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(4)「和歌山県立近代美術館」の昨日、明日―その18

 

前回も触れたが、当館が中心となって企画した特別展「2020日・チェコ交流100周年 ミュシャと日本、日本とオルリク」は、年始から2月11日まで岡山県立美術館で開催されている。その後4月には、最終会場である静岡市美術館に巡回の予定である。昨年9月に立ち上がった第1会場の千葉市美術館では、会期中に2度も台風に襲われ、臨時休館も余儀なくされるという災難に見舞われた。そのようなこともあって、ご覧いただけなかった皆さんには、あらためて岡山や静岡に足を運んでいただければありがたい。

さて、今年は阪神・淡路大震災の発生から25年を迎える。以後も日本はいつ地震や津波に見舞われてもおかしくない状況下にあるのに加えて、先の千葉の事例のように、台風や水害など、以前は考えられなかったレベルの大規模な災害も懸念される。

私は子供時代、関東大震災を機に関西に移った祖母から、わずかな揺れの地震に、「地震というものはこんなものではない」と言い聞かされて育った。しかし平成7年1月17日早朝、突然の激しい揺れというより、何が起こったかわからない衝撃を体験し、それ以来地震に対する思いがまったく変わってしまった。

あの時、私が暮らしていた神戸市東灘区は、一瞬でほぼ軒並み倒壊し、数多くの人が亡くなる悪夢のような状況だった。地震発生直後、寒さの感覚もなく、裸足で外に出たが、一帯のガス臭さから恐怖心に襲われた。道路が家屋の倒壊で塞がれ、自衛隊による遺体収容が始まったのも地震発生からやっと3日後で、この間、様々のことが頭をよぎった。自分が生活する地域のコミュニティーの問題と、職場への出勤との間の板挟みとなり、自転車で職場にやっとたどり着けたのは、地震発生から4日目のことだった。

私たち家族は倒壊を免れた義母宅に仮住まいしていたが、そこは家を失った近隣家族との共同生活の場にもなっていた。にもかかわらず、火災が発生したら、道も塞がれていて救出できないからと、警察や自衛隊には、早く避難所に行ってほしいと促されていた。「バックドラフト」の消防士に憧れていた、まだ4歳の愚息は、変わり果てた光景に、ヘルメットを被り興奮して走り回っていた。

美術館に「通勤」できてからは、館の復旧作業に加え、当時は普及課員であったため、絵画教室などに通っている人たちの安否確認、そして県職員として、公園内に設けられたテント村での1週間の泊まり込みや、他県から援助にかけつけていたパトカーに同乗し、避難所を回って被災状況を把握する用務などにも携わった。勤務を終えて義母宅に帰ってからは、本当に疲れ果てていたのだろう、着替えることもなく、そのままの姿で眠り込んでいたことも思い出す。翌年の夏の検診で、肝炎の発症がわかったことも重なり、それから10数年は、辛い日々が続いた。

近い将来、南海トラフ地震も懸念される和歌山県では、先の東日本大震災を機に、災害時に機能する博物館ネットワークづくりが急務という意識が生まれた。その半年後、平成23年9月の台風12号で、紀伊半島大水害という甚大な被害を被ったのを機に、「和歌山県博物館等施設災害対策連絡会議(和博連)」が立ち上げられた。現在、当館や県立博物館他、県下の17団体によって幹事会が構成され、私も和歌山に赴任してから同連絡会議の副会長に就任し、毎年の会議に出席している。

昨年の会議が和歌山県由良町の「ゆらふるさと伝承館」で開かれたことについては、以前も若干触れた。この会議で少し安堵したのは、万一県内の博物館が被災した場合、特に学芸員が、本務館はもちろん、他館の文化財レスキューに専念できるという確約がとれていることだ。県民のための復旧支援を行うことは、公務員として課せられた大切な使命だが、同時に唯一無二の文化財を守ることこそ、学芸員として働く者にとって大切な任務であることを、声を大にして伝えておきたい。

今年度は3月に県立博物館での開催が予定されている。今回は、昨年の台風19号で、地下収蔵庫水没という甚大な被害を受けた川崎市民ミュージアムの文化財レスキューに参加された当館の元副館長・浜田拓志氏による現場報告がある予定で、私もぜひその報告を聞いておきたい。先の日曜美術館でも、文化財レスキューが特集され、広く周知されたことと思う。

私自身、阪神・淡路大震災で被災しているだけに、震災発生直後どのような場に居合わせ、また被災後にどのような状況に直面して、さらにどのように行動しなければならないかという問題も含め、対処・検討すべき課題が重いことは承知している。加えて、突然の地震ではなくとも、あらかじめ予想される台風などの接近においてさえ、予期せぬ災害が待ち受ける。このような自然状況を前に、文化財行政に関わる私たちは、自己の命を守りつつ、何ができるかという問題を常に考えておく必要がある。

私も、もしもの時に備えて、館長室に数日分の下着や水を置いてはいるが、ガラス・ウォールに囲まれた部屋で執務するのは、正直気が気でない。すぐに飛び出せるように、館長室の扉はいつも開けている。それというのも阪神大震災の折、兵庫県立近代美術館では、1階の彫刻室壁面を被っていたガラスが飛散し、ロビーにあった木製の書架に破片が突き刺さっていた光景を目の当たりにしたからだ。

確かに、いつ起こるかわからない自然災害を、過度に恐れる必要はない。しかし、美術館開館中、多くの来館者がいらっしゃる状況での被災が深刻さを増すことも、想定しておかなければならない。

次回は、博物館法との関連から、災害の問題について、さらに私見を述べてみたい。

(2020年2月4日)

 

 

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