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わが国の近代美術館事情22

わが国の近代美術館事情22

(4)「和歌山県立近代美術館」の昨日、明日―その19

 

前回は地震のことに触れたが、さらに台風などの自然災害に加え、予期せぬウィルス感染という「災難」も降り懸かり、こうした状況に、美術館・博物館がいかに対処するべきかという大問題が待ち受けているとは、想像もしなかった。

今から10年ほど前の2009年、初夏にもかかわらず新型インフルエンザが流行した。当時私が勤務していた美術館がある京都の岡崎公園も、閑散としていた記憶がよみがえる。かつて「大阪・神戸のモダニズム」(1985年)という展覧会を企画した経験から、次は京都だと意気込んで発案した「京都学 前衛都市・モダニズムの京都 1895-1930」展が、ちょうどそのインフルエンザの時期と重なり、盛り上がりもないまま閉幕してしまったという苦い思い出がある。当時は、まだ博物館施設の休館までにはいたらなかったが、今回の新型コロナウィルス感染症では、国立館をはじめ、閉館やイベント自粛などの動きも目立つ。

当館は照明工事のために休館している期間に当たっていたが、隣の県立博物館をはじめ、和歌山県立の3館は開館を続けている。思うに、余り神経過敏で消極的になるより、有効な打開策を打ち出すことこそ求められるだろう。それはたとえば、歴史から学ぶこともできるのではないか。

先に触れた「京都学」展では導入部で、明治28(1895)年の「第四回内国勧業博覧会」の紹介を行った。岡崎公園を会場に開催されたこの博覧会では、当時パビリオン的位置だった平安神宮が造営されるなど、近代の日本において、東京以外ではじめて開かれる一大イベントであった。同展の図録の拙稿「『モダニズムの京都』における田村宗立の位置」にも記したとおり、博覧会の開催以前に、京都でコレラが大流行し、市内全域に広がって多数の死者も出た。それを機に、多くの人々が集まる場に「公衆衛生キャンペーン」の意識が芽生え、勧業博を準備する紀念祭委員会にも「衛生部」が設けられたという。こうした危機意識に基づく対応も功を奏し、4か月の会期中に113万人の来場者数えたが、無事閉幕を迎えている。

また、博覧会が開催された年に描かれた、田村宗立の《京都府立駆黴院図》(1895年、京都国立近代美術館蔵)という作品がある。これは、当時としては先端をゆく精度が示された「建築図」というべきものだが、「駆黴院」とは、現在の京都府立医科大学附属病院の前身となる、全国でも先進的な公的医療機関だった。しかも田村宗立は、それに先立つ1870年代に、青蓮院にあった粟田病院に勤め、医療用の解剖図などを描いていた。アメリカやドイツなど海外から医師も招聘され、その中にいたアメリカ人から英語を学び、油絵の知識をもっていたドイツ人から、その手ほどきを受けていたという。27歳(1872年)で京都中学の「英語学 検査」第二等に合格し、将来は「海外遊学の志」も抱いていた田村だが、この志が実現していたならと悔やまれる。

ところで、現在の京都国立博物館も、先の内国勧業博覧会の開幕に合わせて開館するはずだったが、その場所が最終的に「旧恭明宮跡地」に決められたのも、博物館の開設を機に、衛生面にも配慮して周辺の環境整備に寄与するという、きわめて今日的な背景があったからだ。それは京都市の姉妹都市パリで、中央市場跡の再開発に伴って1977年に開館したポンピドゥ・センターの例を思い起こさせもする。明治時代すでに、公衆衛生面上の「災難」を体験し、その撲滅意識が高められ、そして博覧会などの文化イベントにまで危機管理を徹底させていたことなど、社会学的見地から学ぶべきことも多いはずだ。

そして現在、新型コロナウィルスの影響は全世界に広がっている。当館は、ニューヨークのホイットニー美術館で2月17日から5月17日まで開催される「VIDA AMERICANA: MEXICAN MURALISTS REMAKE AMERICAN ART, 1925-1945」という野心的な展覧会に、日本国内の美術館から唯一、館蔵の石垣栄太郎の代表作《人民戦線の人々》(1936−37年)ほか計2点を出品している。2月には、奥村一郎学芸員が、作品輸送のクーリエとして出張してきたばかりだが、そのホイットニーも休館となっている。

また、千葉市美術館を皮切りに、昨年9月から当館で開催した大規模展「ミュシャと日本、日本とオルリク」が、4月に最終会場である静岡市美術館での開幕を待っている。この展覧会も、1年ずれていれば開幕が危ぶまれただろう。さらに全ての会期終了後に滞りなく作品を返しに行けるのか、予断を許さない状況が続いている。今後も、海外から作品を借用して展覧会の開催を準備、予定している館も多いだろうが、出張などの移動も厳しく制限されているだろうし、問題は山積みに違いない。

美術館の休館に加え、もっとも深刻なのは、音楽や演劇公演などの文化活動である。展覧会も当然のことながら、来館者に「実作品」を提示することではじめて成立する事業であり、われわれ学芸員は、何とかそれら実作品を発掘し、借用し、展示しようと精魂を込める。そして、無観客試合でも成立するスポーツの世界とは異なり、展覧会も含めて、音楽や演劇など、鑑賞者との共存を前提とする文化活動の「危機」、さらには「表現の自由」といった議論も、その「表現」を享受する者がいなければ意味をなさないだろう。

前回の末尾には、地震などの災害を俎上に載せて「博物館との関連から、災害の問題について、私見を述べたい」と記した。だが、それからわずか数日後に、「自然災害」だけでは収まらない、まったく新たな「災害」問題が起こり、今回、どうしても触れざるを得なくなった。そしてそれは、地震や水害などによる施設のハード面での問題とともに、「収束するまで休館」という厳しい課題を突きつけられることにもなる。

それでは、こうした新たな時代状況に突入し、それに対応する機能も期待されるミュージアム(ここでは、美術館・博物館と分けるより、この名称を使いたい)には、いかなる法的な裏付けが保障されるのか。地震や津波、台風などの自然災害による被災はいうまでもなく、広く「ミュージアム災害」も視野に入れながら、さらに考えてみたい。

(2020年3月19日)

 

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