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わが国の近代美術館事情25

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(4)「和歌山県立近代美術館」の昨日、明日―その22

 

「開館50周年記念」と銘打つ「もうひとつの日本美術史 近現代版画の名作2020」展が開幕した。早いもので1か月が経過し、若干の展示替えも行った(会期は11月23日まで)。この展覧会は、1970年に全国で5館目の近代美術館として開館した当館の「開館50周年」を記念する展覧会で、本来ならば開幕前日の9月18日には開会式を行い、多くの方々をお迎えするはずだった。けれどもコロナ禍のため、内覧会だけのスタートとなったのは残念だったが、同じ近代美術館である徳島県の学芸員の方たちが3名来館されるなど、熱心な来館者があったのは嬉しい。

この展覧会では、当館がこの50年間に注力し、コレクションの柱として成長した国内トップクラスの質量を誇る近現代の版画作品を中心に、ともに展覧会を企画した福島県立美術館の所蔵品ほかの版画を加え、明治から現代にいたる日本の近現代版画史をふりかえっている。しかし意外にも、木版や銅版、さらには石版などの技法を網羅した作品を集めて、その近現代史をたどる展覧会は、これまでほとんど開かれていない。明治以降に制作された「版画作品」だけを集めて「日本美術史」を語る発想が、まずなかったからだろう。本展のメイン・タイトルである「もうひとつの日本美術史」の意味も深い。

同時に1階の展示室では、「和歌山県立近代美術館 コレクションの50年」展を開催し(12月20日まで)、1963年に開館した県立美術館時代からの歩みを、コレクションとともにふり返っている。ここでも「版画 コレクションの力点」、公立館として唯一の企画であった「和歌山版画ビエンナーレ展 世界への視点」の章に加え、1994年の「新館開館 広がるコレクション」の中でも、ピカソやブラック、クレーらをはじめとする版画作品を紹介しているので、合わせてご覧いただきたい。

ところで、美術といえば、絵画や彫刻、工芸に目がいきがちだが、今回あらためて実感したのは、明治期から現代にいたる版画史を、まさにあらゆる技法を総合的に、そして造形美術史上から俯瞰的にふりかえれば、私たちの生活における「視覚」体験そのものもあぶり出されてくることだ。

私には、版画についての持論ともいうべきものがある。それは「抽象表現」こそ、絵画制作に先行して版画で実践されていたのではないか、との思いである。これは「抽象絵画の父」と呼ばれるヴァシリー・カンディンスキーが、「抽象画」すなわち最初の「非対象絵画」を描いた1911年に、とりわけ木版画作品を集中的に制作し、翌年以後、木版画制作は影を潜めてしまうからだ。そして詩画集『響き』(1913年出版)に掲載された木版画には、具象から抽象への展開が如実に示され、ほとんどの作品が1911年の制作になる。ロシア未来派の「音響詩」的な詩作と、イメージとしての版画のまさに総合化が、この『響き』で実践される。「前衛」的な詩作に導かれるように、黒白木版画制作に見られる「かたち」の単純化、様式化、装飾化への過程が、表現としての「脱対象化」を促していく。版画への着手が、カンディンスキーにとって絵画における抽象化に踏み出す原動力になったのだと、私は思う。

後年、恩地孝四郎の木版画が日本の「抽象表現」の先駆だと知り、カンディンスキーの影響も色濃いこと知るにおよんで、ますます興味がわいてきたことを思い出す。そして、ヘルヴァルト・ヴァルデンの画廊「嵐」が主宰する版画展を日本に紹介した作曲家・山田耕筰と恩地の関係をはじめ、「版画」を核とする芸術動向に広がりを見いだすこともできる。

さらに「視覚」体験という視点から版画を見つめ直せば、今回、「近現代版画の名作2020」展の第1章に出品されている、明治期の版画の先行例と位置づけられる「印刷物」は、幕末から明治に伝来した写真画像をモデルに制作されていることがわかる。「ヒポクラテス像」や「明治天皇像」、高橋由一の「山形県庁ノ図」など、写真をもとにして版画に起こされているのがわかる。そして油彩画でも、京都の田村宗立や浅井忠らが、写真と対峙して写実をきわめようとする。浅井の重要文化財である初期作品《春畝》(1888年、東京国立博物館蔵)も、大森貝塚を発見したアメリカ人、E・S・モースが撮影した風景写真(セイラム・ビーボディー博物館蔵)に、その創作の源があるとされる。高橋由一の《山形市街図》(1881−82年頃)の油彩画も同じ構図の写真が存在し、後に制作された玄々堂による《山形県庁ノ図》(1885年)のリトグラフを、現在展示している。

また、現代部門最後の第10章の出品作で、当館の新収蔵作品でもある太田三郎の《POST WAR 46-47 兵士の肖像》(1994年)は、肖像切手という形態で、写真をもとに制作された「コピー」作品である。この作品をはじめ、横尾忠則や木村光佑、吉田克朗、木村秀樹らの版画作品にも、写真は忍び込んでいる。こうして展覧会場の入口と出口で「写真」と出会うのも、今回の「版画」展の「もうひとつの」醍醐味にほかならない。

現在広く普及する、本来は通信手段のはずである携帯電話に、写真機能がついていることはむしろ常識となっている。高性能の画像に加え、「インスタ映え」という言葉が象徴するように、日常生活のあらゆるシーンに写真が浸透してきている。「印刷術」や「版画」も、「写真」とともに「複製文化」を形成する。

明治以降現代にいたるまで、版画の歴史をふり返れば、様々の興味深い問題点が浮き彫りされてくる。「抽象」表現に加えて、「写真」と版画との関係など、以上、ささやかながら触れたことは、11月3日に予定している私の講演会でも、話してみたいと思っている。「もうひとつの日本美術史」の意味をかみしめながら、新たな視点で「近現代版画史」について再考していただきたい。

(2020年10月29日)

 

 

 

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