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館長のおススメ―2月の一品 李禹煥《点より》

李禹煥《点より》1980(昭和55)
顔料、キャンバス

 アイボリーの淡い平面の上に、特徴的な丸四角の青いかたちが、左上から右方向に薄れながら痕跡をつなげ、消えようとする瞬間また鮮やかな色がよみがえります。そして何度も「改行」しながら同じことが繰り返され、ついには右下隅に到達して全画面を被いつくします。リズミカルに点滅する光源の連続写真のようでもあり、また一時代前のブラウン管テレビの走査線を想い起こさせます。しかし眼をこらすと、これは画家が群青色の岩絵具をたっぷり含ませた「たんぽ」を画面に押しつけ、右に移動させてまた押しつける動作を反復し、絵具がかすれて見えなくなると再び「たんぽ」に絵具を含ませて、同じ動作を上から下へ画面が尽きるまで行った結果とわかります。

私たちがふつうに習字をする際の「墨継ぎ」と、基本は何も変わりません。「線より」という別のシリーズでは、同じ色の地に、今度は太い筆で群青の縦棒を、上から下へとかすれて消えるまで引いて画面いっぱいに並べており、これも同じく「墨継ぎ」でしょう。しかし、字を書くための行為ではありません。また「点より」に使われる「たんぽ」は「拓本」を取るときに使う道具ですが、半立体の浮彫や碑文を平面に記録し、像を留めるために作家はそれを用いたのではなく、青いかたちが現れては消え、明滅しながら画面を満たす、といった世界を現出させるためのツールとして用い、すべてはそのことに費やされる行為なのです。

韓国慶尚南道に生まれ、ソウル大学校美術学校を中退して、1956年20歳の折に来日した李禹煥は、日本大学文学部で哲学を学びました。卒業後、日本画を学びながら平面作品を発表しますが、むしろ世に知られるようになったきっかけは、1969年美術出版社芸術評論賞の佳作に挙げられた「事物から存在へ」をはじめとする評論活動でした。翌1970年には、関根伸夫、吉田克朗ら後に「もの派」と呼ばれる作家たちと作品集を出版し、理論・実作の両面でその中心人物として70年代の日本美術をリードする存在となります。鉄や岩石、材木など半製品の素材を排列し、空間に緊張をもたらすそれらの関係性を提示する立体の仕事を展開しましたが、平面作品では二十歳代前半に試みた仕事を、1973年から「点より」「線より」のシリーズとして全面展開し、その後の「風より」のシリーズとあわせ、きわめて独創的な平面作品を制作しました。

絹の裏に金箔を貼る日本画の「裏箔」にも似た色合いの下地に、東洋では最も高貴な顔料である群青の斑点が、現れては消えます。たったそれだけの要素で成り立つ「絵画」は、ひと時代前にアメリカで生まれた「ミニマル・アート」(最小限の美術の意)にも似ていますが、むしろ筆墨の一点一画に生命を託した東洋の画人や書家の、はだかの精神の営みを強く思い起こさせます。

この作品は、2月11日まで開催される「物質(モノ)と美術」に展示されています。

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