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館長からのメッセージ/2012.5.18

ゴールデン・ウィークが終わり、美術館もひととき静寂に包まれているようです。期間中美術館では、レクチャーや鑑賞ワークショップ、バックヤードツアー、ジャズ・ライブなど特別の催しを行い、多くの方々に参加していただきました。活気のある「にぎわい」に包まれる美術館……、それは私たち美術館運営に携わる者にはとても喜ばしい姿に思えます。

しかし、一私人にかえって他の美術館に好きな作品を見に行った時のことを考えてみましょう。レクチャーを聴いて、新しい見方や知識を教わることはとても有意義ですが、ともすれば耳ざわりと感ずる場合があることも否定できません。そうした「雑音」に煩わされることなく、静かに作品と対話を深めること、それが美術鑑賞の本当のよろこびであり醍醐味ではないか、と思わず本音を洩らしそうになります。「にぎわい」は裏を返せば「喧騒」であり、「静けさ」は裏を返せば「活気のなさ」になります。人それぞれ、心の持ちようでどんな風に感じようと間違いではありません。しかし、騒がしいばかりの展覧会場、その逆に静かすぎて思わず周囲を見渡してしまうような美術館は、何か違うのではないかと思います。そうではなく、いつも落ち着いた「にぎわい」にあふれ、活気ある静寂が支配する特別な空間、それが美術館のあるべき姿なのではないかと考えるわけです。

ひと昔前のコマーシャル・フィルムで、ちょっと気に入ったのがありました。閉館後、重い鉄の扉を閉められた夜の自然系博物館の展示室で、一日中固定ポーズをとりつづけた恐竜の骨格標本が、ひと気のないのを見計らって思い切り伸びをし、全身をほぐして動き出すというものです。美術館・博物館を管理する側としては、はなはだ困ることなのですが、真夜中の博物館の展示資料がどんな姿をしているのか、当事者としても大変スリリングな興味を掻き立てられる話題であることは否定できません。骨格標本が人目を忍んで大暴れしたり、また肖像画の主が額から抜け出して行方をくらますというなら、それは本当のお化け屋敷でしょう。実際には起こり得ないことですが、誰も見ていない暗闇の中で展示資料がぶつぶつとつぶやきはじめ、誰かとささやきあう声が小さな虫の羽音のように夜の展示室を満たす……という情景を、私などは想像の中でよく思い描いたりします。

動植物の標本が、個体生存当時の生きざまや生命力のいくばくかを伝える力を持ち、歴史資料が往時の関係者の筆跡や、生々しいものでは血と汗の痕跡を通じて、過去の事件にまつわる人間たちの情念や意志を今に蘇らせるように、美術作品も作者が懐いた思考や感情、欲求など、制作時の心的状態をそのままつめ込んだカプセルとして眼の前に存在しています。とすれば、それが単に色や線の集合する板として大人しく壁に掛かったり、塊のような重量として床にどっしりと眠りこけたりといった様を、夜の美術館で見せるはずがありません。

こうしたメッセージ性、そういう言葉があるなら「発語性」といいたい性質は、夜だけでなく四六時中周囲に向けて発せられる、美術作品の本性ともいうべきものではないでしょうか。ですから、白紙のように素直で開かれた心には、いつでも展示室のそこかしこから、妖精のような「アートの魂」がささやきかけてくるはずであり、それこそが美術館の「活気ある静寂」なのだと私は思います。いま、美術館にはこの「活気ある静寂」がみなぎっていますので、是非とも一度足を運んでみてください。

そして、梅雨が明ける6月末からは「なつやすみの美術館2:かたちと色のABC」のタイトルで、大人もこどもも楽しみながら美術の世界に親しめる企画を準備しています。今度は夏の光のもと、親子やカップルだけでなく、世代を問わぬ老若男女の観客の皆さんに、思いっ切り美術を知り、美術を語りあえる「活気あるにぎわい」の場を用意したいと考えていますので、こちらも期待してください。

2012518

館長 熊田 司

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