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館長のおススメ―5月の一品 木下佳通代《LA ’92-CA711》

木下佳通代《LA ’92-CA711》

1994(平成6)年、乳がんで亡くなった作者が病魔と闘いながら制作した1点です。告知を受けた1990(平成2)年から、木下はがんの新しい治療法をもとめて国内外の病院に足を運び、とりわけロサンジェルスには何度も長期滞在して制作も継続しました。それはまるで、生身の自分を生かすためのあてどない病院訪問と、自らの精神的な生を永遠につなげてゆくための集中的な制作が、表裏一体となった旅だったように思えます。当地で描かれた作品につけられた略称が「LA」、また「CA」はカンヴァスの略で、それまで紙に写真プリントやドゥローイング(素描)することが主体だった仕事を、1982(昭和57)年カンヴァスに油絵で描くことへと転回してからの、制作通し番号がふられています。したがって、タイトルはあくまで作品識別符号でそれ自体が何かを意味するのではなく、抽象美術作品にはよく見かけるネーミングといえましょう。

しかし、それはどの作品も没個性的で区別しがたく、意味するものが何もないということではありません。それどころか、数ある作品は微妙なヴァリエーションを奏でながら響き合い、全体として木下佳通代の残された生命の燃焼をさまざまに彩って見せるのです。1990年過ぎまでの木下は、力強いストローク(筆のひと振り)で印した幅広い筆あとをぬぐい、またその上から筆あとを重ねて交差させるといった制作法によって、時間が重層するような奥行きのある平面を単色調で表現しましたが、最晩年には上へ上へと原色や白のストロークを重ねて、痛ましさすら感じさせる力強い作品の連作に挑みました。ちょうどその中間点にあたるのがこの作品でしょう。白地にごく淡いグレーで、あるいは濃くあるいはかすれがちに縦横にめぐらされた幅広の刷毛目は、無色透明の風にざわめく半透明な生命体そのものであるかのごとく、切なくも清らかな「いのち」の世界をみずみずしく描ききっています。

2階展示室で開催中の「日本の絵画の五十年」で、この作品を見ることができます。

 

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