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わが国の近代美術館事情28
(4)「和歌山県立近代美術館」の昨日、明日―その25
当館のウェブサイトもリニューアルされ、この「館長メッセージ」の連載も、早いもので5年目を迎える。ここでささやかながら、館長としてメッセージを発信できることは、私にとっても、タイトルどおり「昨日をふり返り、明日を展望する」得がたい機会となっている。
しかしながら、連載をはじめた頃は思いもしなかったパンデミック、新型コロナウイルス感染症が、猛威を振るう現実に直面することとなった。当然のことながら、展覧会など美術館活動についても対応を迫られる状況下に、私もその思いを綴ってきた。それだけではなく、最近、和歌山県でも地震が多発し、さらには将来、南海トラフ大地震の発生も確実視され、風水害など自然災害に向き合わなければならない難題も重なる。
これまでにこのメッセージでも記したように、私自身、1995年の阪神・淡路大震災での被災体験の記憶が生々しく残る。この震災で、寺社の古美術のみならず、美術館・博物館、さらには個人が所蔵する美術品も甚大な被害を受け、「文化財レスキュー」という言葉も生まれた。
学芸員として働くことができた最初の職場であった兵庫県立近代美術館も、震災で大きな被害を被った。そしてその「文化の復興の象徴」として、さらには「兵庫県立近代美術館を発展的に継承する」館として、現在の兵庫県立美術館が2002年に開館した(『開館記念第一弾 松方・大原・山村コレクションでたどる 美術館の夢』展図録、あいさつ文他より)。
しかしながら、このことは余り知られてはいないが、その震災の前年の4月に「兵庫県立美術館基本構想検討委員会」が設置され、保存修復などの部門などを含めた、まさに新美術館の構想が生まれはじめていたのだった。思えば、この時すでに「県立美術館」として「近代」の名称ははずされていたが、私はそれをほとんど気にとめずにいた。
この「館長メッセージ」に寄せた当初の思いをふりかえれば、その第1回の冒頭、「なぜ、『近代美術館』なのか」という見出しを掲げていた。それ以後、現在にいたるまで、このことを考え、2018年に企画した「和歌山―日本 和歌山を見つめ、日本の美術、そして近代美術館を見つめる」展では、兵庫近美の建物から取り外され、当時在職していた学芸員が保管する正面入り口に掲げられていた「近代」の看板までも借用し、展示してその意味を再考しようと試みた。
当館で、近代美術館に在職して3館目になる私自身、あらためて「近代美術館」への思いを強く抱く。昨年は、当館が県民文化会館内に産声をあげた開館から50年を迎え、秋には、初代学芸員であった酒井哲朗氏が名誉館長を務められる福島県立美術館と、記念展「もうひとつの日本美術史 近現代版画の名作2020」展を開催した。そして、今年度の完成を目指す『50年史』刊行事業は、「昨日をふりかえり、明日を展望する」ためにも、先の「記念展」とともに、当館のみならず、日本の美術館にも一石を投じることだろう。
いうまでもなく美術館、博物館は、その年度の事業の報告を『年報』や『活動報告』といった冊子で、毎年作成しているのは周知のとおりである。それは館活動の重要な事業のひとつだが、単年度での記録に加え、総合的視点からその歴史を回顧し展望する姿勢も、市史、郷土史、社史ほかの編纂と同じく、50年という節目にこそ求めなければならないと思う。
2017年4月に当館館長として奉職し、痛感するのは、当館の「近代美術館」としてのその歴史の重さである。さらに、1963年から1970年11月2日の「県立近代美術館」開館と同時に廃館となった「県立美術館」の7年の前史が加わる。1963年と言えば、関西初の「近代美術館」である国立近代美術館京都分館(現京都国立近代美術館)が開館した年でもある。その後当館は、1994年に、現在の位置に新館が開館し、黒川紀章の設計で、県立博物館と県立近代美術館とが相並び立つプラットホームを形成している。
さて私自身、美術館で仕事をはじめて41年目を迎えたが、当館へは、歴史を積んできた館への、しかも館長という職務の異動で、正直かなりのプレッシャーを感じていた。だが、最初に心に浮かんだのは、はじめて勤務した兵庫と同じく、公立館50年の歴史を刻む、その現場に居合わせることができるかもしれないという期待だった。
「近代美術館」として50年の歴史を刻んでいるのは、日本初の「近代美術館」である神奈川県、そして東京・京都の両国立近代美術館の3館に、昨年、和歌山県がその4館目として加わった。
近年では、私が勤務した兵庫県や、さらに富山県など、県立近代美術館として出発しながら、和歌山県とは逆に、「近代」の名を取り去って「県立美術館」とするところも増えてきた。こうした事情にも触れながら、さらに「近代美術館」の意味を問いかけていきたい。
(2021年4月3日)