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わが国の近代美術館事情29

わが国の近代美術館事情29

(4)「和歌山県立近代美術館」の昨日、明日―その26

5月11日まで3回目となる緊急事態宣言が発出されて、東京、京都、大阪、そして兵庫の各都府県の美術館は臨時休館となっていたが、今月末まで、宣言はさらに延長され、休館を継続した館も多い。

美術館の生命線である展覧会を開くことができなくなるのは、これがはじめてのことではない。地震や水害の自然災害に見舞われれば、まず施設の安全上、開館自体が物理的に不可能になる。それでは、コロナ禍というパンデミック下の危機管理状態ではどうか。

これまで、このメッセージでもたびたび紹介した博物館法第八条の「設置及び運営上の望ましい基準」の規定に基づく「危機管理等」では、「衛生上」の理由から施設への「入場制限、立入禁止等の措置を取る」こともできると定められている。今回は、コロナ禍による「緊急事態宣言」下での休業要請だが、博物館法に明記された「衛生上」の根拠の適用によって、休館措置も可能となる。そうであれば、今年で70年を迎える博物館法の交付後、はじめての事例となっただろう。

そして、今月末まで緊急事態宣言が延長された東京都では、国立美術館と都の美術館とで対応が分かれたことが、ニュースなどでたびたび報道されてきた。当初、国立館は文化庁の方針に従って5月12日からの再開を予定していたが、都から文化庁に対して行われた休業要請によって、再度、東京国立博物館や東京国立近代美術館、国立科学博物館などの国立館は休館を継続した。

実は、それ以前の4月27日付けで、内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室長から各都道府県知事宛に出された「特定都道府県及び重点措置区域以外の地域における催物の開催制限等に係る留意事項について」の事務連絡で、感染防止の観点から厳しい防止策が掲げられていた。

特に美術館に関連するものとしては、「マスク常時着用の担保」、「大声を出さないことの担保」に加え、「密集の回避」として「入退場時の密集の回避(時間差入退場等)」、「身体的距離の確保」「入場時の検温」や、「催物前後の行動管理」では、「予約システム」の導入などが示されている。そして「緊急事態宣言対象地域」では、「無観客開催」とされている。

「緊急事態宣言」が延長されたにもかかわらず、当初、文化庁は5月12日からの美術館、博物館の再開に踏み切っており、国でも対応が分かれていたのだった。たとえば国立美術館は独立行政法人のため、国立美術館法により国立博物館とともに博物館法が適用されない事情もあるだろう。その意味でも、ここであらためて「緊急事態宣言」について、そして現在、改正の議論が高まっている「博物館法」についても、さらなる再考の必要性を痛感する。

 

さて今後、さらに感染状況の如何によっては、全国に緊急事態宣言の発出も懸念されるところだが、当館では、照明工事明けの先月24日から、開館して展覧会を再開した。5月5日に予定していた、関連のコンサートは延期とせざるを得ないものの、先にも掲げた感染対策を徹底し、予定どおり、展覧会を開催している。

現在開催中の企画展のタイトルは、「疎密考」(会期は、今月30日まで)。コロナ禍の状況だからこそ構想された企画だが、しかし、この展覧会は、従来見逃されてきた様々の問題点を気づかせてくれる。

昨年の11月から、読売新聞の和歌山地域版で「県立近代美術館50周年 コレクションの名品」と題した連載がスタートしていたが、4月28日付けの紙面では、「疎密考」展の企画・担当者である藤本真名美学芸員が、川西英の出品作である《「神戸十二ヶ月風景」十二月 元町風景》の木版画作品を取り上げた。

年末商戦の混み合う元町商店街がテーマだが、「こんなふうにマスクもつけずに気兼ねなく『密』になれる光景は、もはや懐かしいものとなってしまった」として、「これまで何気なく見ていた日常の景色がいたるところで変化し、私たちはほかの人との距離、『疎』か『密』かを、強く意識するようになっている」と、彼女は続けている。

川西英は、私も個人的にも懐かしい思い出がある。版画家としての活動の傍ら収集された膨大なコレクションに携わる機会を得て、ご子息であり、版画家でもあった故川西祐三郎氏の神戸市のご自宅を何度も訪ねていたからである。一度、友の会でご自宅に寄せていただき、貴重な制作現場を拝見したこともある。しかし、それが懐かしいのは、現在の状況では、このように親しく個人宅を訪問することも考えられないからだ。「疎と密」の関係は、コミュニケーションの問題でもあるだろう。

そしてこの展覧会は、人と人とのつながりを取り上げるだけではないと思っていたところ、来館者のアンケートに「疎密については、洋画と東アジアを比較する時に常に感じることである」と、まさに正鵠を得た感想を見つけて嬉しくなった。日本や中国絵画の「余白」、隅々まで描かないと気がすまないような「西洋絵画」の迫力。こうした「表現」の問題にも連なる「疎密考」は、タイトルどおり、様々のことを考えさせられる展覧会となっている。

そして、前衛音楽家のジョン・ケージの銅版画も3点出品されているが、交響曲のように饒舌ではない、まさに寡黙なケージの音楽をも連想しながら、「疎密」を再考する機会ともなる。「新しい生活様式」、「新しい表現様式」、そして今後の「新しい展覧会のあり方」を模索する手がかりを与えてくれる企画としても期待したい。

(2021年5月18日)

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