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わが国の近代美術館事情30

わが国の近代美術館事情30

(4)「和歌山県立近代美術館」の昨日、明日―その27

 当館では今秋、和歌山県誕生150年、そして和歌山ではじめて開かれる国民文化祭「紀の国わかやま文化祭2021」の特別連携事業として「和歌山の近現代美術の精華」展を開催する(10月23日から12月19日まで)。展覧会は2部構成で、その第1部は「観山、龍子から黒川紀章まで」と題して、和歌山の近代美術館らしさを押し出した、日本画、洋画、彫刻、デザイン、建築などのジャンルに、27名の作家の200点近い作品・資料を集めて紹介する。そして第2部では、和歌山市出身の写真家・島村逢紅の全容を、交流のあった近代写真家の作品とともに取り上げる、当館初の本格的な写真展となっている。

 一方、この「精華展」にも出品される和歌山ゆかりの現代美術家の展覧会を、現在開催している。それが11回目となる当館恒例の「なつやすみの美術館」に、和歌山県御坊市出身の現代美術家・野田裕示氏と当館の収蔵作品とのコラボレーションが実現された「野田裕示『集まる庭』」展である(9月26日まで)。

 この展覧会では、野田氏の作品が79点並ぶとともに、直接氏と交流や影響のあった作家の野田氏のコレクションや、当館が所蔵する46作家約90点も加わる展示となっている。彫刻家・岡本敦生氏と野田氏との共作となる立体作品も含み、野田氏のこれまでの制作と、これらの作品が共鳴するように構成された、まさに展示室全体が「庭」と化した展覧会となっている。

 今回の出品作で、野田氏の最初期に位置する1984年に制作された《WORK186》は、いわゆる平面としての絵画の表現を脱した「半立体」作品だが、しかし野田氏は「平面絵画」への道を信じ、むしろ「半平面」という言い回しを用いる。1980年代後半以降からは、カンヴァスそれ自体の「布の表情」を意識し、独自の色彩も加味された「表面世界」での造形を試みる。 

 加えて今年5月に、東京のザ・ギンザスペースとギャラリー東京ユマニテで、ほぼ同時開催された「野田裕示〈100の庭〉」展では、「ノダ・カラー」ともいうべき、初期から一貫する独特の色彩に溢れた作品が集められていた。それらの作品群には、音楽用語でもあり、美術では全体の色相を整える「ドミナント」の手法が駆使されているようだ。「ふたつの〈100の庭〉展に共通のカタログでは、会場写真が掲載され、展示構成が重視された編集となっていた。

  そして、野田作品であらためて気づかされるのが、絵画の「部分と全体」という問題である。先の「100の庭」では、個々の小品の集積によって「全体」が形成され、それはあたかも、「庭」に植えられたひとつひとつの木々によって「庭全体」が構成される、というような行為を思い起こさせる。

一方、当館の「集まる庭」展では、野田作品に加え、作者自身が所蔵する作品や、当館のコレクションから作者自身が選んだ作品が加えられる。実際に交流のあったジャスパー・ジョーンズやサム・フランシス、批評家の瀧口修造、彫刻家の保田春彦、そして高校時代の恩師である有本弘、堂本尚郎らの作品と呼応するように、野田氏の作品が並んでいる。ここでは一作家の個展として、開催館のコレクション、作家自身の思いも結集されたユニークな構成が実現されている。

かつて野田氏は、当館で開催した「―美術の現在・4つの試み―宮崎豊治、北山善夫・木村秀樹・野田裕示」展(1990年7月28日―8月26日)で、そのカタログに自ら「ノダのノート」と題した一文を寄せている。「1981年4月27日の日付から始まる小さなノートがある」という書き出しで、自ら記述したノートを、自らが回顧しながら、制作や作品について書き留めたその発想は、いかにも野田氏らしい。先に記した「半平面」や「布の表情」、「表面世界」という言葉も、このノートに書かれていた。

 ところで、野田氏の若き日の足跡をたどれば、16歳のときの和歌山県美術展・洋画部門入選を皮切りに、翌年には和歌山市展奨励賞、和歌山県展美術展・洋画部門教育委員会賞、続けて18歳のときには、東京都美術館で開かれた県展選抜展への出品(翌年、翌々年も出品)、さらに和歌山県美術展特別展での洋画部門和歌山県知事賞や洋画部門教育委員会賞の受賞、20歳のときにも、同じく県展の洋画部門奨励賞受賞と、まさにその青春時代、和歌山県展の申し子ともいうべき活躍ぶりだ。

ちょうど今年7月31日から、第45回全国高等学校総合文化祭「紀の国わかやま総文2021」が、和歌山県で初めて開かれ、当館の2階展示室や博物館、そして県民文化開館を会場に「美術・工芸」部門が開催されていた。開会初日には、野田氏が県民文化開館で講演され、作品講評も行われた。その準備のため、野田氏は東京から2日前に和歌山に入られ、実に熱心に展覧会場に足を運ばれ、高校生の作品を見ておられた。全国から出品された高校生にとっても、直接第一線の美術家に触れることのできる、それは得難い体験であったに違いない。

 野田氏は、高校在学中に、当時の日本の現代美術を牽引し、東京で南画廊を主宰していた志水楠男と出会い、その後上京して多摩美術大学に進学する前後から、この志水のすすめで、サム・フランシスの東京のアトリエに通っていたという。そして、大学卒業の翌年(1977年)には、南画廊で個展を開催し、今日に至るまで、活動の拠点は東京にあった。

 そして、今回、和歌山での個展では、1995年に開催した「野田裕示近作展〈絵画の原風景を求めて〉」(10月24日―12月17日)以来となり、今秋には、和歌山県の橋本市教育文化会館でも「おでかけ美術館 野田裕示展」(2021年10月1日―10月24日)として開催される。和歌山県出身の現代美術家・野田裕示氏の作品を、創作の原点となったこの和歌山の地で、あらためて見つめ直してみたい。

(2021年8月12日)

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