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わが国の近代美術館事情31

わが国の近代美術館事情31

(4)「和歌山県立近代美術館」の昨日、明日―その28

 前回のこの「館長メッセージ」の冒頭でも紹介した展覧会「和歌山の近現代美術の精華」が、2部構成で10月23日にオープンした(12月19日まで)。11月からは、チラシの裏面にも表記のとおり、当館の学芸員7名が、それぞれ担当の専門ジャンルに分かれて解説会を開くので、聴講いただければと思う。

 さて、「和歌山の近現代美術の精華」展は、当館の全館を使用した大展覧会であり、しかも和歌山ゆかりの下村観山や川端龍子をはじめ、東京などの他館からも代表作を借用しての構成になっている。加えて第2部の写真家・島村逢紅の全容の紹介もはじめてで、「日本近代写真史」上も意義深い。

 そして第1部・第2部ともに、私自身、これまで歩んできた学芸員生活とてらしあわせても、その思いはつのる。それは、これまでこの「メッセージ」でも記してきた、いわば私の「近代美術観」ともいうべきものと、今回の展覧会「和歌山の近現代美術」とが共鳴しあうからでもある。

 ひとつに、それは「モダニズム」という言葉で示すことができるだろう。現在、ミュンヘンの市立レンバッハハウス美術館で、1922年に東京で結成された前衛集団・アクションや村山知義のマヴォとともに、京都の国画創作協会までもが、世界の近代美術の革新集団として位置づけられた「グループ・ダイナミックス」展が、来年の4月24日にかけて開かれている。そのサブタイトルには「モダニストの時代」が掲げられ、「和歌山の近現代美術の精華」展に出品している当館所蔵の野長瀬晩花の《島の女》(1916年頃)も、年明けから、「グループ・ダイナミックス」展に出品されることになっている。

 こうした前世紀初頭の「モダニズム」における日本の一動向を、展覧会としてはじめて紹介したのは、私が学芸員として最初に手がけることができた兵庫県立近代美術館(現・兵庫県立美術館)の「都市と美術 大阪・神戸のモダニズム1920−1940」展(1985年8月)だと思う。これは、日本の美術館でおそらくはじめて、ひとつの展覧会にジャンルを超えた美術作品や資料を集めたもので、絵画や彫刻、版画に加えて写真やポスター、さらにはファッション、化粧品パッケージなどを総合的に展示したものだった。当時は、絵画や彫刻、版画などが、なお美術展の優位にあり、もうひとつの「美術品」を選んだ展示が認められるか不安だったが、実は、こうした展示手法へのヒントが、先に紹介したミュンヘンの市立美術館にあるといえば、驚かれるかもしれない。

 それというのも、私は学生時代から「抽象絵画の父」であるW.カンディンスキーについてささやかな研究を行っていたが、美術館に勤務して3年目の1982(昭和57)年夏に、カンディンスキー作品収蔵の宝庫である、先にも紹介したレンバッハハウスで「カンディンスキーとミュンヘン その運動と変遷 1896−1914」と題した展覧会が開かれた。秋には美学会で「カンディンスキーの木版画」についての口頭発表もひかえ、カンディンスキーの木版画制作にも関連した同館所蔵の墨筆や鉛筆素描の調査も兼ねて、ミュンヘンを訪れた。

 それは私にとってはじめての海外体験でもあり、海外で見るはじめての展覧会だったことも重なって、本当に新鮮に感じられた。カンディンスキーのミュンヘン時代に花開いていた、いわゆるユーゲント・シュティールの雰囲気が、絵画や彫刻のみならず、ポスターや家具、工芸品なども含めて同時に再現され、このような総合的展示もあるのかと気づかされたからだ。心躍る海外体験とも重なり、それからいつか、このような時代を輪切りにした展覧会を手がけてみたいと思うようになっていた。

 それが後年、幸いにも「大阪・神戸のモダニズム」への構想に繋がり、そして今回、「モダニズム」とともに、レンバッハハウスで開かれている「モダニズム」展にも接して、本当に不思議な縁を感じている。さらに「モダニズム展」の翌年(1986年)、パリのポンピドゥーセンターで、大規模な総合展である「前衛芸術の日本」展が開催され、ここで具体美術協会の作家たちが大きく取り上げられるとともに、中山岩太をはじめとする日本の近代写真が、はじめて海外で紹介されることとなった。その調査のために、ポンピドゥーからキュレーターが、中山岩太の発掘者である兵庫県立近代美術館の先輩学芸員を訪ねてきていたことも思い出す。

 そして今回、当館で「和歌山の近現代美術の精華」展を開催するにあたり、「大阪・神戸のモダニズム」展ではじめて紹介した作家、作品と、それからほぼ40年近くを経て再会することができようとは思ってもみなかった。しかもその時は、和歌山と結びついていることなど全く知らなかっただけに、驚きの一語につきる。

 そのひとりが、本展覧会の第1部で取り上げられた山名文夫だ。当時、ご存命だった美佐代夫人、そして長女のありせ氏が住まわれていた東京・多摩市のご自宅を訪ね、保管されていた山名文夫最初期の大阪・プラトン社時代の雑誌の原画や、現在は資生堂が所蔵するものまで出品いただいた思い出が甦る。おふたりが、何より美術館での展示を喜ばれていたことは、その後たびたび開かれた山名文夫の展覧会のことを思えば、今となっては信じ難いことだろう。

 戦前の「大阪・神戸の阪神間」の視点では、芦屋ゆかりの写真家・中山岩太が、モダニズム展と同時に、常設展示場を使用して開催されていたことも忘れられない。兵庫近美の先輩学芸員だった故・中島徳博学芸員に連れられて、展覧会の挨拶のために、芦屋の写真スタジオ兼住居を訪れ、土足のまま住まいへ通された時は、まるで時間が止まったかのように残された「モダニズム」空間に魅せられたことを思い出す。

 その中山スタジオと同じ体験を、今回の展覧会の第2部で取り上げた写真家・島村逢紅が住われていた和歌山市内の洋館を訪問する機会で与えられたことも幸運だった。新興写真の中山岩太、そして芸術写真の島村逢紅というふたりの写真家の、いわば初公開の場に幸運にも居合わせたことも感慨深い。次回はさらに、「和歌山の近現代美術の精華」について、見どころを紹介してみたい。

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